技は息陰陽水火でつかわないといけないと大先生は教えておられるので、息陰陽水火で技をつかってみたが、なかなか思うようにいかない。思うように、いかないとは上手くいくときもあるということであるし、上手くいった時は、技は息陰陽水火でつかわなければならないのだなと確信する。
上手くいかない時もあるので、上手くいくようにした。どうしたかというと、息陰陽水火から水火息陰陽にしたのである。息陰陽からではなく、水火で技と体と息をつかってみたのである。
技、それに体と息を水火で掛けるのである。つまり、縮む→拡がる→縮む→・・・・の中で技をつかうのである。片手取り呼吸法でも正面打ち一教でもこの水火で技をつかうのである。
但し、縮む→拡がる→縮むの水火は腹中と胸中のイキ(気)の働きである。口中の息ではないということである。
布斗麻邇御霊の水火であり、また布斗麻邇御霊から割れ別れた水火である。これを口中でやると、つまり口の息で腹や胸を萎めたり、膨らませては上手くいかないのである。また、腹中や胸中のイキがしっかり働かないと口中からの息も上手く働かない。
息陰陽の息は口中からの息である。つまり水火のイキと口中からの息の二種の“いき”で技をつかうことになる。
水 縮む で 息を吐く → 息陽
火 拡がる で 息を引く → 息陰
この水火で技と体と息をつかうと息陰陽水火を実感出来る。そしてこの息陰陽水火が実感できると、これは日常生活でもやっていることが分かってくる。つまり、息陰陽水火とは特別なモノではないということである。
例えば、日常の歩行である。足を地に落とす時は水で足と息を地に下ろし(出し)、その足を上げる時は火で息と足を地から引いているのである。
因みに、息陰陽水火で歩く歩行は健全であるし、高齢者などはこれが出来ないために上手く歩けない事になるわけである。
息陰陽水火を息陰陽からやるのは難しいようなので、水火からやればいいだろう。水火によって息陰陽が自然と組み込まれてくるようである。しかし、水火をつかうのは難しいかも知れないから、まずは布斗麻邇御霊で水火を身に着ければいいだろう。
水火が身について来れば、水火の息づかいと動きで反対側の手が自然に動いてくれるし、体全体が真面目に働いてくれるようになるようである。更に言えば、水火の働きによって、技と体と息は自然と息陰陽水火になるように感じる。
更に、裏の気を体の表に流そうと苦労していたのが、水火によって自然と背中(表)に流れるようになった。
まずは、すべての技を水火でやればいいだろう。徒手だけでなく、剣、居合、杖、四股踏みなども水火でやることである。