相対で技を掛けている時、布斗麻邇御霊の形が現われるように稽古をしていた。どの技でも七つの御霊を技に現わすように、なるべく正確に掛けていた。
だが、正確にしようとすると、素早くは動けない。時には、相手は素早く、力一杯打ち込んでも来るので対応が難しくなる事もある。
しかし、その内に相手の素早い動きに対応するかのように体が反応し、その攻撃を制し、投げたり押さえることが出来るようになる。だが、七つの布斗麻邇御霊のすべての姿は現われていない。幾つかの御霊が欠けているのである。そこでこの技づかいは間違いなのだろうかと思った。しかしながら、技は上手く掛かるし、体と心からの不満もないので、どういうことなのか迷っていたが、その迷いが解消された。
前回書いた「布斗麻邇御霊から割れ別れた水火」、つまり、布斗麻邇御霊の分身の水火をつかうのである。相手の素早い動きに対応したのはこの分身の水火だったのである。
すべての動きは、布斗麻邇御霊から割れ別れた水火の動きであるということだろう。故に、布斗麻邇御霊を無視したり、違反しているわけではない。






で収めるわけだが、
の水だけでも初動から収めまで出来るのである。息を吐きながら、掴ませた手を息を吐いたまま円く回して投げ抑えるのである。これは布斗麻邇御霊の水火の分身である。
水火は自由につかえる、働いてくれるということである。例えば、片手取り呼吸法や正面打ち一教で出す手は水でもいいし、火でもいい。
正面打ち一教の場合の出す手は、例えば、
水
→火
→水
でもいいし、
火
→火
→水
でもいい。
片手取り呼吸法の場合の出す手は,例えば、
水
→水
→火
→水
→火
→水
水
→火
火→水
火
→水
火
→水
→火
→水

水 → 水 → 水 → 水
これで分かるように水火は自由につかえるが、動きと水火は一致しなければならない。また、初動は水でも火でもいいが、最後の決めは水で息を吐いて決めるなどに注意しなければならない。
「合気道には形はありません。武の極意は形はない」と大先生は教えておられるわけだが、この水火で技が自由になる事に関係があるように思える。更なる探究が必要である。