これまで体の要は腰腹として体をつかってきた。しかし、肩を上手くつかわないと体は上手く働いてくれないし、いい技、真の技が現われないことを実感するようになった。つまり、肩は腰腹同様に体の要であるということである。これまで技は主に手で掛けてきたわけだが、その為に手のつくり方、手のつかい方に重点を置いてきた。そして肩はその手の補充、サポーターということだったわけである。
肩は手のサポーターどころか肩は手をつかう、肩が手をつかうと、肩は手の指揮官なのである。強力な手、切れ目のない動きの手は肩をつかわないと出来ないのである。
重要なものは法則となっているが肩にも法則がある。例えば、
手はその反対側の肩をつかうという法則である。手をつかう場合、反対側の肩が働かなければならないということである。法則とは宇宙の法則だから、合気道の徒手だけでなく、居合で太刀を抜く場合、剣をつかう場合、舟こぎ運動等々でも通用する。
肩が要である次の理由は、肩取りの稽古で分かりやすいように、肩で気の働きを実感、実践しやすいという事である。掴ませたり、打たせたりする手からは、気を意識し、気を生じさせ、気をつかうのは容易ではない。唯一、呼吸法がそれを可能にしていると思うが、肩はもっと容易であるようだ。勿論、あるレベルまで呼吸法などで気を練っておかなければ肩はつかえないようだから、これまでやってきた稽古、修練は無駄ではないはずである。
さて、肩で気の働きを実感、実践しやすいと書いた。これを具体的、つまり自身の体験で書く。
最近の道場稽古での坐技後両肩取の稽古である。