【第969回】 布斗麻邇御霊とそこから割れ別れた水火で
布斗麻邇御霊の姿を形に現わすよう技をつかっている。合気道の技の基本であり、法則であり、必須であることを実感している。一つの技、例えば、正面打ち一教や片手取り呼吸法を七つの布斗麻邇御霊(下図)の形で現わすのである。
しかし、この布斗麻邇御霊で技をつかっていくと、一つ二つの御霊を省いても技になることに気がついたのである。そうなると、これまでやってきた布斗麻邇御霊で技をつかうという法則に反することになるから問題である。
過って、本部道場や特別講習会で有川定輝先生の技を見せてもらっていたが、力強く、不動、完璧で美しいと感心していた。相手に打たせたり掴ませ、それを捌いて収めるが、無駄のない、自然な動きであった。今思えば、布斗麻邇御霊でやられていたのだと思う。
しかし、通常は、先生が、相手が打つように、掴むように導くわけだが、或る時、受けがどうしたわけか、突然、我々に説明している先生に打ち込んできたのである。危ないと思った瞬間、先生はその打ってくる手を見もしないで電光石火で制し、床に抑えてしまったのである。先生がどうしてそのような事ができたのかこれまで疑問であった。布斗麻邇御霊でやっていては間に合うはずがないからである。上記の問題とともにその疑問が解けた。
それは、合気道の技や動きは布斗麻邇御霊でもつかえるし、布斗麻邇御霊から割れ別れた水火でもつかえるのである。布斗麻邇御霊から割れ別れた水火については、
前回「布斗麻邇御霊より割れ別れたる水火」に記した通りであるが、その水火は下記の通りである。
この布斗麻邇御霊より割れ別れたる水火を水と火に分け、技や動き(運動)で手をどのようにつかうかを具体的に見てみることにする。
布斗麻邇御霊より割れ別れた水火 |
水 |
火 |
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手を上から下に縦に下す際は息を吐いて下ろす。 剣や手を振り下ろす際は、息を吐いて切り下ろす |
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手を横に振る時は息を引き乍ら振る。 剣や居合で、息を引き乍ら手や剣を横に振る |
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手を円く動かす際は、息を吐き乍ら動かす。 体操で手を円く動かすのは息を吐きながらする。 |
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動作を収める際は息を引いて四角に収める: |
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上から手や剣を斜め下に下す場合は、右上から左下であれ、左上から右下であれ、息を吐きながら下ろす。口也とは、息は口から出るという意味と考える。 |
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?左下から右上に手や剣を斜めに切り上げる場合は、左下から右上であれ、右下から左上であれ、息を引き乍ら上げる。 |
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??のポチである。息を引いていくと表れ、気となる。 |
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腹中を息を吐いて落としたり出すと或る処で息を引くようになる。水が火に変わる。呼吸法や隅落としの手などはこの水中火であろう。 |
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左同 |
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下に下す際は息を吐き、上げる際は息を引く。 |
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左同 |
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手や剣を右横から左斜め下に切り落す際は息を引き乍らする。口也とは口から息が入ることだろう。 |
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左同 |
合気の技は、これらの布斗麻邇御霊から割れ別れた水火でもつかえる。ただ、水火を間違えないようにつかわなければならない。息を吐くところを(水)引いたり(火)、またその逆で水火と体や技をつかえば上手くいかない。合気の技だけでなく、準備運動でもこの水火でやらなければ効果がない。
以前、記したが有川先生が考案された米印体操(下図)はこのために最適な体操であることが分かる。間違いなく、有川先生はこの水火を知っておられて、米印体操を我々に勧められたのだとようやく分かった次第である。
結論は、合気の技は布斗麻邇御霊と布斗麻邇御霊から割れ別れた水火でつかわなければならないのである。大先生が合気の技はフトマニ古事記でつかわなければならないと言われているのは、布斗麻邇御霊だけでなく、布斗麻邇御霊から割れ別れた水火を含む布斗麻邇御霊も指しておられると考える。
布斗麻邇御霊の技は基本であり、布斗麻邇御霊から割れ別れた水火は布斗麻邇御霊の技の応用であり、自由で実践的であると考える。しかし、まずは布斗麻邇御霊の基本から始めた方がいいと思う。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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