人は誰でも年を取り、そしてやがてお迎えがくる。出来れば長く、永遠に生きたいと思っていてもそれは出来ない。それはこれまでの歴史が教えてくれている。
日本は長寿大国といわれる。100歳以上の高齢者が9万人以上になるという。100才まで生きられるかどうかは別にして、誰でも生きるなら健常者として生きたいだろう。寝たきりで100歳まで生きたとしてもあまり嬉しくないだろう。日常生活で体も頭も働いてくれ、お迎えの来る少し前にトンコロリという生き方である。これを健康寿命というようで、誰もが憧れている生き方である。健康寿命の定義は「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」とされる。
我々は合気道家である。健康寿命で生きる他に合気(道)寿命で生きるべきだと考える。つまり、健康上の問題で合気道活動(および日常生活)が制限されることなく修業をし、生活できる期間ということになる。合気道の修業が出来なくなった時が、合気寿命がつきた事になるわけである。稽古が終わった翌日にトンコロリということである。
若い内は、高齢になる事や高齢になっての健康問題など考えもしないだろう。私自身がそうだったからそれが分かる。しかし、70,80歳になると体だけでなく、頭の健康問題が襲い掛かって来る。次から次へと高齢になるのを待っていたかのようにいろいろ襲ってくるのである。これにひとつひとつ真剣に、そして誠実に対処していかなければ、合気寿命、そして日常の健康寿命もそこで尽きる事になる。
日常の健康寿命を延ばす方法は、書籍やテレビなどで紹介されているようだから、ここでは合気寿命を延ばし、享受するにはどうすればいいかを書いてみたいと思う。
是から書くことは、自分自身の体験であり、合気道の教えを基にした解消法である。70歳を過ぎて段々体が思うように動かなくなり、満足に歩けないようになり、道場での相対稽古の前受け身も取れなくなってきたのである。
このままでは合気道は出来なくなり、合気寿命も尽きることになるので何とかしようとこの問題解決を真剣に考えた。
まず、大先生の教えに戻った。大先生は、合気道は禊ぎであると言われていた事を思い出したのである。これまでは相手を投げてやろう、決めてやろうと稽古していたわけだが、それは合気道の導入時で初心者のやる事で、合気道の本質的稽古・修業は禊であるということが分かったのである。
そこで私の朝の禊を記して見る。
毎朝、6時に起きて2,3時間の禊を始めた。単独動作(片手取り呼吸法、正面打ち一教、徒手での剣の素振りなど)、木刀の素振り、杖の素振り、木刀での居合、二刀流の居合、鍛錬棒の素振り、柔軟体操(手先、手首、肘、肩、胸鎖関節。腹、腰、胸)、舟漕ぎ運動、祝詞。
これで全身が息と気で禊がれる。
禊で何をやるかは他人には言わないものである。大先生もこれまでの名人、達人は誰も、どんな修業をしたのかをいわなかったが、みんな違っていたはずである。故に、自分で何をやるかは自分自身で決めていかなければならない。はじめは基本の基本をそして、適宜、必要と思われるプログラムを加えていけばいい。1,2時間などすぐに経ってしまうはずである。
因みに、禊ぎは、毎日やるようにと言われている。勤めがあって時間があまりない人には難しいかもしれないが、喩え10分でもいいから毎朝やるべきである。
この後、洗面で頭、顔のマッサージをする。頭の要所と目、鼻、耳、口の周りの骨を押す。押したり、マッサージする際は、頭、目、鼻、耳、口の働きに感謝すると共に、今日もよろしくとお願いする。対話である。対話をするようになると協力してくれるようである。お陰で最近は頭も顔(目、鼻、耳、口)がすっきりしている。
時間が戻るが、禊の前に目が覚めて、起床するわけでが、以前は起き上がったり、立ち上がると目まいがした。だから、起き上がるのが怖かったし嫌だった。この目まいを解消してくれたのは合気道の教えにある、右に舞い上がり、左に舞い降りる螺旋の教えである。起き上がったり、立ち上がったりする時、気(息)を時計回りの右に螺旋で天に上げ、そして左に螺旋して地に落とし、その地に落ちた気を右に螺旋して腹に上げるのである。これで目まいがなくなり、起き上がる恐怖がなくなったのである。
立っているとき、歩いている時にも、くらくらしたらこの右に舞い上げ、左に舞い降りるで解消できるようである。
高齢になって最も一般的で重大な問題は歩行だと思う。私もこの問題には非常に悩まされた。歩が進まないし、躓いたり、ふらついてしまうのである。階段の上り下りも大変である。
そこで元気な若者たちはどのように歩いているのか、そして高齢者の歩行はどうなっているのかを観察した。街を歩けばサンプルはいくらでもある。
そして分かった事は、
<超高齢者(やっと何とか歩く高齢者)>は、