ほぼ2年前から布斗麻邇御霊の探究を続けている。はじめは布斗麻邇御霊という言葉を『合気神髄』と『武産合気』で知ったわけだが、どのようなものなのか皆目見当もつかなかった。しかし、大先生は布斗麻邇御霊やフトマニ古事記で技を生み出していかなければならないと教えておられるので挑戦し続けてきた。
布斗麻邇御霊の関係書籍を入手し、そして布斗麻邇御霊をどのように技と関連づければいいのかを探究してきた。それはこれまでの論文に書いてきた通りである。
お陰で布斗麻邇御霊がどのようなもので、どのよう働きをし、合気道にとって何故大事なのか等が分かってきたし、多少技で現わす事が出来るようになった。
毎朝、拝読している『合気神髄』で次の文章が目に止まった。
「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇の御霊、この姿を現わすのであります。これをことごとく技に現わさなければならないのであります。(合気神髄P.153)」である。これまで何度も見ていた箇所だが、これまではそれほど気にもとめないで読み飛ばしていたわけである。というより、その重要性に気づくレベルになかったということである。
この教えの前半はそれまで分かっていたし、技で現わすことはできていた。正面打ち一教と片手取り呼吸法は布斗麻邇御霊の姿を“あおうえい”で現わすことが出来たのである。
しかし、その後の「これをことごとく技に現わさなければならない」に目が開かれたのである。つまり、合気の技はすべて布斗麻邇御霊の姿で現わさなければならないということである。二教も入身投げも小手返しも、その技を斗麻邇御霊の姿で現わすのである。要は、布斗麻邇御霊によってすべての技を生み出していかなければならないということである。極端に言えば、布斗麻邇御霊を無視した技は合気の技ではないということである。
今は、すべての技を布斗麻邇御霊によって生み出していくように努めているが、やりやすい技とそうでない技があるので、まだ本当に分かってはいない状態である。すべての技が布斗麻邇御霊でできるようになれば本当にわかったことになるわけである。
片手取り呼吸法はようやく布斗麻邇御霊によって生み出していくことができるようになったと思うので、片手取り呼吸法(右半身)で具体的にどのようにしているのかを記す。
布斗麻邇御霊は、である。
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