【第967回】 布斗麻邇御霊の姿を技に現わす

ほぼ2年前から布斗麻邇御霊の探究を続けている。はじめは布斗麻邇御霊という言葉を『合気神髄』と『武産合気』で知ったわけだが、どのようなものなのか皆目見当もつかなかった。しかし、大先生は布斗麻邇御霊やフトマニ古事記で技を生み出していかなければならないと教えておられるので挑戦し続けてきた。

布斗麻邇御霊の関係書籍を入手し、そして布斗麻邇御霊をどのように技と関連づければいいのかを探究してきた。それはこれまでの論文に書いてきた通りである。
お陰で布斗麻邇御霊がどのようなもので、どのよう働きをし、合気道にとって何故大事なのか等が分かってきたし、多少技で現わす事が出来るようになった。

毎朝、拝読している『合気神髄』で次の文章が目に止まった。
「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇の御霊、この姿を現わすのであります。これをことごとく技に現わさなければならないのであります。(合気神髄P.153)」である。これまで何度も見ていた箇所だが、これまではそれほど気にもとめないで読み飛ばしていたわけである。というより、その重要性に気づくレベルになかったということである。
この教えの前半はそれまで分かっていたし、技で現わすことはできていた。正面打ち一教と片手取り呼吸法は布斗麻邇御霊の姿を“あおうえい”で現わすことが出来たのである。
しかし、その後の「これをことごとく技に現わさなければならない」に目が開かれたのである。つまり、合気の技はすべて布斗麻邇御霊の姿で現わさなければならないということである。二教も入身投げも小手返しも、その技を斗麻邇御霊の姿で現わすのである。要は、布斗麻邇御霊によってすべての技を生み出していかなければならないということである。極端に言えば、布斗麻邇御霊を無視した技は合気の技ではないということである。

今は、すべての技を布斗麻邇御霊によって生み出していくように努めているが、やりやすい技とそうでない技があるので、まだ本当に分かってはいない状態である。すべての技が布斗麻邇御霊でできるようになれば本当にわかったことになるわけである。
片手取り呼吸法はようやく布斗麻邇御霊によって生み出していくことができるようになったと思うので、片手取り呼吸法(右半身)で具体的にどのようにしているのかを記す。

布斗麻邇御霊は、である。

  1. まず、で天地を結び気の三角体をつくる。△○□の△である。言霊“あ”と“お”でつくるのである。地(左足)から“あ”で天に結び、“お”で地(右足)に結び、地に結んだ足の重心を他方の足(左足)に移すと体が△になる。 
       
    左足   右足
  2. “う”で右手と右足を腹中を膨らませながら進める。である。息を吐きながら腹中を横に拡げる。伊邪那岐神の働きである。気が腹中を満たし、手先や体が気が満ちる。
  3. 更に引き続き“う”で腹中の横に拡げた気を縦に落とす。である。伊邪那美神の働きである。
  4. を力一杯地に縦に落とすと、と合わさってができ、自然と腹から胸に気が上がり、に結びつく。息は“う”で吐いていたのが“え”で引く息に変わる。胸が気で満ち、頑強な胸になる。胸の気は身体の表(背側)の気である。所謂、真空の気である。因みに、“う”の気は腹の気であり、重い空の気であると考える。
  5. に結んで“い”で技を決めるわけだが、実際には気に満ちた胸を気に満ちた腹に合わせることになる。胸と腹で決めるのである。これがである。真空の気を空の気に結んで技にするのである。
布斗麻邇御霊に働いてもらうためには、御霊の一つ一つを大事にすることである。落とすところはしっかり落とし、拡げるところはしっかり拡げ、絞る処はしっかり絞らなければならない。また、霊が独りでに動くようになればいい。の霊はそれを感じられるようだ。霊が独りでに動くようになれば、それが魂の働きになるのではないかと考えている。それが神技でないかと思う。

正面打ち一教でもこれは出来るが、これからは、大先生の教えに従ってすべての技を布斗麻邇御霊によって生み出していくようにしなければならないと叱咤激励している。