魂の探究をしている。大分近づいている気はするがもう少しである。
最近は、「空の気と真空の気を、技と性とに結びあって自分においてこれを技の上に科学化して生み出してゆくのが、武産合気の合気たるゆえんである。」(武産合気p.101)の教えを頂いて、空の気と真空の気を結んで技をつかい、何とか魂に近づこうとしているところである。
何故、魂が空の気と真空の気の結びになるかというと、空の気を真空の気に結ぶと、それまでの気の力より強力な力が出るからである。それが実感出来る例は、二教裏や胸取りである。一般には空の気で技を掛けるのであまり効かないが、真空の気は空の気より強力なので効く事になる。
空の気と真空の気の違いは、空の気は体の前面から出、真空の気は体の背面から出ると実感する。体の前面とは体の裏であり、体の背面は体の表であるから表からの気の方は強力になるのは当然である。
空の気を体の裏から体の背面の真空の気にするためにはどうすればいいかということになるが、それは息陰陽水火、円の動き等、これまでやってきた事をやることである。
そして分かってきたのは、空の気とは自分の気であり、真空の気は自分以外の気ではないだろうかということである。
自分の気とは、所謂、重い気であり、相手をくっつけてしまう引力の気であり、また、相手を固まらせてしまう凝結力を有する気である。
真空の気とは、自分以外の気である。息陰陽水火で分かるように、この気はである。伊邪那岐神と伊邪那美神である。つまり、真空の気は神ということになるわけである。そして神は魂ともいわれているわけだから、真空の気は神であり、魂ということになると考える。勿論、真空の気は空の気とも結んでいるわけだから、引力も凝結力もある。
理合いだけでなく、実践でも実感出来る。例えば、諸手取り呼吸法で空の気(自分の気)をつかえば魄力より強力な力が出る。更に、真空の気をつかえば空の気よりも強力な力が出ることは確かである。つまり、真空の気の魂は、空の気の気より一ランク上位であるということである。式にすると、
魄力 < 空の気 < 真空の気 → 魄 < 気 < 魂 となるだろう。
ということで、真空の気が魂であると考えているわけである。今後の稽古でこれを確証したいと思う。