【第965回】 いつもの通り

年を取ってくると、若い頃のように行動できなくなるし、生活できなくなる。急に走り出したり、止まったりできなくなるし、急カーブも出来なくなる。
一番いいのは、自分のペースで坦々、粛々といつもの通りやっていくことである。これは日常生活だけでなく、合気道の稽古にも当てはまる。

いつもの通りとは、如何なる状況になってもそれに惑わされずにやるということである。毎日の生活や稽古では、いつもと状況が変わる場合があるが、やるべき事や決めた事をいつもの通りやるということである。
例えば、毎日の生活では、起床や就寝の時間、三食の食事、朝食の前の禊などいつもの通りやることである。状況が変わっても出来る限りいつもの通りやるということである。変わる状況として、健康状況や急な天候変化、人との約束による時間的制約等があるだろう。
しかし、よく考えれば、毎日の状況が変わらないことなどないわけだから、状況に左右されては快適な生活など出来ない事になるだろう。多少の体調不良、天候不良でもいつも通りの生活を送りたいものである。

道場稽古にも週に三回ほど通っている。ここでも相手に関係なく、いつもの通り稽古をしなければならないと思っている。しかし、これは中々難しい。何せ相手が居るからである。こちらだけ満足しても、相手が納得しなければ、相手は何らかの抵抗や反抗をしてくることになり、いつもの通りの稽古とはならなくなるからである。相手が力持ちだったり、大きな体だったり、挑戦的だったりすると、いつもの通りとは行き難くなるのである。
しかし、相手が誰であり、またどうであれ、いつもの通りの稽古をしなければならないと考え、努めるようにしている。

道場稽古で、いつもの通りの稽古をする土台は、毎朝、一人で行う禊にあると考える。毎朝の禊ぎは極力いつもの通りやるようにしている。寒かろうが暑かろうが、体調がよかろうが悪かろうが、同じメニューを繰り返している。そしてその各メニューの中身を深めたり拡げていくのである。故に、やっていることは同じでも、変わっているのである。例えば、舟こぎ運動は毎日同じ形であるが、中身はほぼ毎回変わっているのである。これは道場稽古で毎回やっている呼吸法と同じやり方である。
道場稽古では、異なる指導者が毎回違う形をやるわけだが、こちらにとってはそれは関係ない。大事な事は、その形で技をいつもの通り練って、深めていくことなのである。ただ、やり易い相手もいれば、やり難い相手もいるが、誰とでもいつもの通りの稽古が出来るようにしなければならないと思っている。