【第964回】 私の論文も幽界に入らないとわからない

私の論文も今回で964回となる。毎週、一回書いているので約20年書いている事になる。初めのうちは合気道で発見した事や出来たことなど主に自分のために、記録として書いていたが、その後、少しでも後進のためにもなればいいとも思って書いている。そのためか、私の論文を読んでいますという後進が現われはじめた。これらの人以外にも潜在的にはもっと多くの人たちがいるのだろう。

合気道の後進達に少しは参考になっているのかと思っていたところ、私の論文は分からないという声を聞いた。大先生の教えを実証し、会得した事を書いているわけだから、大先生の教えである『武産合気』『合気神髄』より何十倍も分かりやすいはずなのにわからないというのである。

そこで後進達が私の論文をわからないのは何故なのかを考えてみた。
その結論を一言で云えば、後進達はまだ幽界に入っていない事ということである。稽古も顕界でやっており、顕界から抜け出せないのである。目に見える次元で稽古をしており、魄の稽古から抜け出せないからである。息を吐いて力を出すと、息を吸うより強い力が出ると、主に息を吐いて技をつかっているのである。
幽界の稽古になれば、引く息は火になり、強力な力を発し、吐く息は水となり、火を消すのである。つまり、顕界と幽界では水火の働きは逆なのである。

合気道では魄の稽古も大事だが、魄には限界があるので更なる精進のためには気の稽古に入らなければならない。気の稽古は幽界の稽古である。幽界では目に見えるものより、目に見えないものを重視する。つまり、魄より気であり、肉体やものより心や精神である。
幽界の次元で目に見えないものが見えるようになるわけである。顕界の次元では目に見えるものしか見えない。故に、大先生の教えや私の論文も活字を追っても分からない事になる。活字の中や裏にある見えないもの、心や精神が見えないので、論文を読んでもわからないということになると考える。

幽界の次元に身を置くようにしなければならない。幽界の次元で技を稽古し、そして私の論文や大先生の教えの書籍を読み続けることである。実務と理合いの祭政一致である。片方だけでは恐らくだめだろう。
幽界の入り口に立ち、一歩づつ入っていけばそれに連れて論文もわかってくるだろう。
この論文も、顕界から幽界に入り、少しづつ深く入って行きながら書いてきた。はじめは顕界の魄の影響が強かったが、徐々に幽界に入り、そして神界に近づくにつれて、論文の中身とつかう技も変わってきているのである。一人でも多くの後進が幽界に入って欲しいと願っている次第である。