【第964回】 気から魂へ

気というものが大分わかり、つかえるようになってきた。まだまだ、大先生や有川先生のように、相手をくっつけたり、凝固させてしまう強力な気ではないが、多少相手を引っ付け、そして凝固させることができるようになった。そしてこれが気であると実感しているわけである。

この気の力は強力である。それまでは肉体主動での力、所謂、魄力であったが、魄力は力そのものと力の強力化の限界がある。特に、年を取ってくるとそれを感じる。それ故、力の更なる強化には魄力に代わるモノが必要になるわけである。それが気である。
気を生み出し、つかうためにこれまで“イクムスビ”の息づかいと体づかいをすればいいと書いた。息を、イーと吐き、クーで引き、ムーで吐くのである。また、体と手を、イーで縦に、クーで横、ムーで縦にし、十字にするのである。気は十字から生まれるので、この“イクムスビ”の息と体づかいから気が生まれる事になる。それまでの腕力をこの気の力に変えることによってそれまで以上の強力な力が出、つかえるようになるのである。

さて、最近はこの気の力より強力な力が出るようになった。呼吸法(片手取り、諸手取り、坐技)でそれが証明された。そしてこの気よりも強力な力の正体こそ魂であると思うのである。何故ならば、力の時系列を考えれば次のように成るはずである。

魄の力 < 気の力 < 魂の力

何故、気の力から魂の力が出るようになったかというと、大先生の教えでもある次の事を修練したからであるようだ。 魂でわかったことは、気を十分に練らなければ魂は産まれないし、魂の力もでないということである。大先生は、「自分というものは魂、それは造り主の分け御霊であるから、それには気を練らねばなりません」と言われている。

これまで魂がわからず、身につかなかった原因は、まず、気というものが良く分かっておらず、身についていなかったこと、そして気と魂の違いがよく分かっていなかったためだと考える。
この魂観に誤りがなければ、後はこれで稽古を続けて行けばいい。
神業が出るのを楽しみにしているところである。