先日、NHKのテレビ番組で上野彦馬のドキュメンタリーを見た。
上野彦馬(写真)は、幕末期から明治時代にかけて活動した日本の写真家、日本における最初期の写真家で、日本最初の戦場カメラマンであった。
彼は日本初となる仕事を残しているという。例えば、感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功した。化学解説書『舎密局必携』を執筆した。日本における最初期の写真館を開設した、日本における最初期の職業写真師であった。この写真館では坂本龍馬、高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影した。また、金星の太陽面通過の観測写真を撮影した日本初の天体写真である。更に、明治10年(1877年)には西南戦争の戦跡を撮影した日本初の戦跡写真家である。
上野彦馬の番組を聞き流していたが、彼が言ったという一言が心に響いた。
それは、「新しい事を知るには、大元にいけ」という言葉である。これまで合気道の稽古と研究を続けてきたが、大事な事を教わったとピンと来たのである。そしてもう一度、合気道の大元に戻ってみようと思ったのである。
合気道の大元とは、武術が生まれ、発展、普及する時代と社会である。この時代と社会に戻って合気道を見直すという事であると考える。
合気道の大元に戻ると次のような事が見えてくる。
まず、当時は、和服を着ていた。着物を帯で留めて活動していた。帯がずれ上がらず、ずれ落ちないためには腹が常に張っていなければならない。そのため息は腹式呼吸であったはずである。口呼吸では腹が張らないので、帯はずれ上がったり、ずれ落ちてしまう。子供の着物や浴衣姿を見ればそれがよく分かる。
次に、歩き方である。当時と今の歩き方は違っている。当時は、出る足と同じ側の手が出るナンバ歩きであり、現在は、出る足と反対側の手が出る、所謂、西洋歩きである。今は西洋歩きが日常化しているわけだが、この歩法で技をつかっても上手くいかないのである。合気道、武術が生まれた大元の歩き方、手足のつかい方で技をつかわなければならないことになるのである。
因みに、大元のナンバで足をつかわなければ、前項の帯が安定して腹に収まらない。このことは、次の項とも関係してくる。
合気道や武術の大元の時代は、武士は刀を差していた。これを意識しなれればならない。意識することは二つある。一つは、刀がつかえるようにすること。手が刀としてつかえるようにする事である。例えば、手は小指側を刀の刃、親指側を刀の峰としてつかうのである。二つ目は、相手が切って来る刀を捌いたり、取ったりする事である。相手の打ってくる手を刀と思って対処しなければならないということである。
更にもう一つ意識しなければならない事がある。それは無礼を働かないことである。無礼を働けば、敵をつくることになり、刀にモノを言わせる争いになる。無礼のないようにしなければならない。
大元に戻れば、このような事に気づくはずである。勿論、まだまだ更なる、発見と教えがあるはずである。合気道の大元では必要があって生まれ、命を懸けて修業されてきたはずである。我々はその先人に感謝し、その意志を継いでいかなければならないだろう。そのためには時々大元に戻る必要があるようだ。