【第963回】 型から形、気形、魂へ

習い事の世界にはやるべき順序と段階がある。合気道も習い事の世界なので、やるべき事の順序と段階がある。例えば、まず、魄の稽古があり、次に気の稽古、そして魂の稽古である。詳細は後述する。
稽古で上達するためには、順序と段階共通の稽古の基準がなければならない。その基準は習い事の世界で違う。それは「型」である。誰でも初めは型を学び、その型を自分なりに磨いていくのである。合気道だけでなく、柔道、空手、弓道や舞踊や茶道等も型はあり、型から習い始める。
習い事とは、何かを習う事、そして習う目的はその習うモノを最高のモノに育て上げる事である。合気道では合気の技であり、他の武道も他の習い事も技のはずである。

合気道では、「合気道の技の形は体の節々をときほごすための準備です」とか、「合気の稽古はその主なものは、気形の稽古と鍛錬法である」とか、「形より離れた自在の気なる魂、魂によって魄を動かす。この学びなれば形を抜きにして精進せよ」等と教えられている。
つまり、型には、形、気形、魂があり、それを身につけるための順序と段階があるということである。
そこで型がどのように変わっていくのかを見ることにしよう。

型:型は元型であり、カタの基本、純粋である。決まった固定したモノであり誰でも使うことが出来る。よって、この分野の習い事は型で普及することになる。

講道館では「形はあらかじめ順序と方法を決めて練習すること」とあるが、「形=文法、乱取り=作文、試合=試験にたとえられる」ともあるから、この「形」は合気道の型に相当すると考える。

また、お亡くなりになった歌舞伎役者、中村勘三郎さんは、「きちんと基礎を徹底的に身につけて、そのうえで、自分の個性を発揮することを型破りというが、基礎も会得する前に、勝手なことをやるのは形無しと呼ぶんだ」、また、「早く成果を出したいと思う気持ちは、誰にでもあるのですが、より大きな成果を目指すには、「形無し」で終わらずに、しっかりとした基礎の上に、大きな立派な建物が建てれるように、「型破り」を目指すのも、大事な気がしています」と言われたという。型と形の関係がよくわかるお話である。
形:型に人が入り、その人がいいように型を変えたもの。人間的、個性的。型崩れ。
因みに、「形」は人が介入した個性的なカタであり、型崩れであるので、型のように普及はしないはずである。
形の役割を大先生は「合気道の技の形は体の節々をときほごすための準備です」と言われている。故に、形は最終的なモノではなく、そのための手段ということになる。つまり、形に留まっていては駄目だという事である。
息形:息で技と体をつかう形。直ぐに気形に入るのは難しいので、次の気形の前に息で形をつくる息形が必要だと考える。それまでの肉体的、物理的な形を息の先導によってつくる形である。
気形:気で技と体をつかう形。合気道の稽古の中心である。「合気の稽古はその主なものは、気形の稽古と鍛錬法である」だからである。
しかし、気が生まれず、気がつかえなければ気形にならない。先ずは、気が出るような稽古をしなければならない事になる。
魂:「形より離れた自在の気なる魂、魂によって魄を動かす。この学びなれば形を抜きにして精進せよ」と魂によって自在に動けと言われている。
気でつくっていた形の気を自由自在にすると魂が働き魂形になる。魂とは神であるから、神がつくる業、神業になる。神業であるから、真善美や愛を備え、美しく、強力であるはずである。
しかし、魂がまだ十分にわかっていないので確かな事は言えないのが残念である。
だが、息を大きく引くと魂が生まれ、働くのを感じられるようになったので、魂とはかすか乍ら接触しているようだ。


合気の技を磨いていくためには、合気の型から形、息形、気形、魂へとカタを順序よく磨いていかなければならないということである。
また、この錬磨の順序と段階は他の分野の順序と段階に合わさって、感性に向かって統合していくようである。その考えを下記に記してみる。

顕界 幽界 神界
稽古は、左から右の次元と段階に一つづつ上がっていくことである。一つを身に付けたら、次の段階/次元に移行するのである。

魂に挑戦しているが、型→気形が何か大事な事を教えてくれそうだ。