【第961回】 積み重ねと挑戦

半世紀以上、また人生の大半を合気道と過ごしている。お蔭様で合気道というものがようやく分かってきた。そして何故、自分が長年にわたって合気道に打ち込んで来たのか、その理由も分かった。
今は、合気道の世界の神秘、奥深さ、有難さに感動し、そして感謝している。
合気道を始めた頃は何も分からなかったし、このような結果になるとも思っていなかった。どのような稽古をすれば技が上手くなるのかもよく分からなかった。只、基本の技を繰り返して稽古すれば上手くなると思って稽古をやっていただけである。

基本技を繰り返して稽古していれば上達することは確かである。しかしある段階に達すると、それまでのように稽古をしていても上達しているとは思えなくなるのである。そして自分の心も体も満足出来ずにもやもやした状態が続くのである。
このもやもや状態を脱出するのは容易ではなかった。自分自身では脱出が難しいと思う。つまり、この状態の脱出は、先生や先輩など、これを経験し、そこから脱出した方に教えて貰うほかないと思うのである。私の場合は、有川定輝先生から教わった。これは以前にも書いているので詳細は省くが、要は、他人から教わったということである。因みに、これが先生や指導者の大事な役割であると考える。今ある次元から次の次元に引っ張り上げることである。

有川先生のお蔭で、それまでの肉体主動の魄の稽古から気の幽界の稽古に移る事ができたわけである。また、同時に、真の合気道の稽古に変わっていったのである。
数年間は有川先生の一挙手一投足を見逃さないように、見て真似ていたが、先生も亡くなってしまった。悲しく、寂しかったが、ここから真の合気道の挑戦が始まったわけである。
そこで始めたことは、合気道の技の法則を見つけ、その法則を一つ一つ身につけていくことである。法則は大先生の『武産合気』『合気神髄』である。ここには合気道の教え、宇宙・天地の法則、技の法則が満載されている。しかし、一度では理解できないから、繰り返して何べんも読んでいる。恐らくお迎えが来るまで読んでも完全には理解できないし、技で表わせないだろう。
どんな法則をどのように身につけていったかは、これまでの論文の通りである。はじめは足を右左右と陰陽につかうなどの容易な法則から始まり、今では息陰陽水火に至っている。初めに比べれば複雑、深淵な法則である。
重要な事は、例えば、この息陰陽水火の法則を身に着けようとしても、恐らくすぐには身につかないということである。何故ならば、身につける法則、やるべき事を一つ一つ積み重ねてきた結果であり、その結果のもとに次に身につけるべく法則が出てきたと思うからである。一つの法則が身につけば新たな法則が現われるが、そうでないと次の法則は現われないか身につかないはずである。足、そして手が陰陽十字で動けないとか、イクムスビの息づかいがつかえないのに息陰陽水火の法則は無理である。

やるべき法則に出会っても中々上手くいかないものである。お聞きしたい先生はおられないし、インターネットを検索しても、まともな答えは出てこないから、自分で解決しなければならない。わからない事、出来ない事への挑戦である。手間と時間が掛かる。知識と努力と運による。布斗麻邇御霊などのように、頭で解り、技で表わして身に着くまで1,2年掛かることもある。
しかしこれを繰り返していくと、法則に出会うのが楽しくなる。ますます複雑、深淵になる法則を見つけ、身に着け、技で表わしたいと思うようになるのである。これが稽古の主流になってくるのである。
また、いまの処は自助努力でやっているが、何かが手助けしてくれているように思えるのである。大先生が、宇宙と結べば、神様が助けてくれるといわれていたのはこの事かも知れない。神様と一緒なら鬼に金棒である。そうなるように積み重ねと挑戦を続けたいと思っている。