【第960回】 思想と技

合気道を始めてから引き続き技を練っている。少しでもいい技にしようとしている。いい技とはどういう技を想定しているかというと、自分が納得し、相手も納得し、周りも納得し、そして宇宙も納得する技である。それでは納得するためにはどのような技でなければならないのかという事になる。
そのためにこれまで稽古をし、そして論文に書いてきたことがようやく分かったところである。しかし、技はどうあるべきかは、この論文を書き始める前に予感したようである。何故ならば、この項の論文のタイトルが「合気道の思想と技」となっているからである。我ながら驚く予感である。
そして確信したのが、技は思想と技(実技)の両輪が機能しなければならないということである。

呼吸法を中心に技の探究と錬磨をしている。主に、片手取り呼吸法や諸手取呼吸法、それに坐技呼吸法である。道場稽古が始まる前や、稽古後の自由時間に2,30分やるようにしている。時間が余りないので、道場にくる前に何をどうするのか、何を試したのか等は決めておく。上手く出来ればそれでいいし、そしてその技を他の技に組み入れていく。上手くいかなければ再度挑戦する。この繰り返しである。

大分前から坐技呼吸法は上手くいっていた。多少相手が頑張ろうが、体重があろうが相手を浮き上がらせてしまうのある。しかし何故それができるのかが分からなかった。理が分からなかったのである。
逆に、片手取り呼吸法や諸手取呼吸法は理を積み重ねて上手くなった。腰腹で手をつかう、腰腹→足→手でつかう、手足を左右陰陽でつかう、体(腰、足、手)を十字につかう、体(手、足)を息と気でつかう、布斗麻邇御霊と息陰陽水火をつかう等などである。
片手取り呼吸法と諸手取呼吸法は理合いと実技が一体化したと実感出来る。受けの相手も納得しているようだし、周りの反応もそう感じる。
この技は理に合っているわけだから、宇宙の法則に則っている。故に、宇宙も納得しているはずである。

さて、先述の坐技呼吸法である。ようやくその理がわかった。息陰陽水火の理である。これまで意識しないで息陰陽水火をつかっていたのである。その理合いが分かってしまうと、その理合いがわかった感謝と同時に、理合いも分からずによくも技につかっていたものだと驚いてしまう。
これで坐技呼吸法も実技と理が一体化したわけである。ますますの精進を期待しているところである。

まとめれば、すべての技、運動(含む、準備運動、柔軟運動)は、理と実技(実践)、つまり思想と技の表裏一体にならなければならないということになる。つかった技は説明できるよう、言ったこと、考えたことは技にできるようにしなければならないということである。言ったことが技に出来なかったり、出来た技がどうしてできたのかを説明できなければ、相手も天も納得してくれないだろう。