合気道の技は、何故、相手に掛かるのか、また、何故、相手はその掛けられた技に納得するのかを考えてみた。
下手な人に掛けられた技は押し付けられたり、引っ張られたりと気分が悪くなり、無意識のうちに頑張ってしまうが、上手い人の技には自然とくっついていく。頑張ろう、逆らおうという気持ちも起きず、気持ちよく、安心して掛かるのである。大先生や有川先生の受けはそうであったと思うし、理で考えればそのはずである。
何故、そのような技がつかえるのかを考える前に、そのような技はどのような技なのか、どうすればそのような技になるのかを探究しなければならないだろう。また、そのような技をつかわれておられた大先生や有川先生は何かこの為に教えておられないか、それはどのような教えかを知らなければならないだろう。
最新の研究は息陰陽である。大先生の教えである。技はこれで掛けなければならないということが分かったところである。お陰で呼吸法(片手取り呼吸法、諸手取呼吸法)は大分進化した。
しかし、この息陰陽を後進に伝えるのが容易ではない。目に見えない事なので説明が難しいのである。
何か分かりやすいことがないかと思っているとある事が浮かんだ。それは子供のころにやっていた、水を入れたバケツをぐるぐる回すことである。上手く回せばバケツの水はこぼれないが、下手をすればこぼれてしまう。
つまり、バケツの中の水には求心力と遠心力が働いており、その求心力と遠心力のバランスが取れていれば水はバケツの中にあってこぼれないのである。
つまり、息陰陽とは求心力と遠心力ということになるわけである。
合気道の技はこの求心力と遠心力の両方を兼ね備えた力でつかわなければならないということになり、これが息陰陽の技と身体づかいになるわけである。
片手取り呼吸法や諸手取呼吸法などこの息陰陽、求心力と遠心力の手であればいいし、それほど難しくない。が、胸取りは中々容易ではない。相手の体、この場合は相手が掴んでいる手とこちらの求心力と遠心力(陰陽)の手で常に結んでいなければならないし、制さなければならない。上手い人がやれば、相手の掴んでいる手が胸から決して離れないのである。何かにくっついているようである。押すだけの遠心力(陽)だけでも駄目だし、求心力(陰)の引くだけの力だけでも技にならないのである。この片方だけの力をつかう事を、所謂、魄の力というのであろう。
ということで、胸取りが上手く出来るようになれば、息陰陽と求心力・遠心力が上手くつかえるようになったということになるだろうから、これからは胸取りにも挑戦していこうと思っている。