【第959回】 AIと合気道

電子機器やAIが進化して便利になったこともあるが、新たな問題も起きている。街を歩いていても、電車に乗っていてもほとんどの人がモバイルやスマートフォンを見ている。中にはトイレで用を足しながらスマホを見ている人がいるのには呆れてしまう。みんな同じ情報を見、共有する。そして同じものを自分も共有していることで安心し、満足しているように見える。AIが加われば、AIが問題や課題に答えてくれるから、自分で苦労して考える必要もない。AIは問題さえ考えてくれるから、自分の問題も分からない。

モバイルやスマートフォンなどの電子機器やPC等のコンピュータやAIの仮想空間をこのまま進化すれば、地球上の人間は亡びるか、亡びないまでも変な人間になってしまうのではないかと危惧している。そしてそれを阻止したり、改善できないものかと考えている。
そんな時に一冊の本に出会った。『動物たちは何をしゃべっているのか?』(集英社)である。その中で著者の一人の山極寿一統合地球環境学研究所所長が、私の考えを代弁するかのように次のように語っている。
「しかし、現代の科学によって人間の絶対性が揺らぎ始め、人間が地球を管理するところが大きく破壊していることが明らかになった。このまま放置すれば、人間は自らを滅ぼすことになるだろう。その原因の一端は、私たちが言葉に依存し過ぎていて別のタイプのコミュニケーションをおろそかにしていることにあるのではないだろうか。」(山極寿一統合地球環境学研究所所長)
山極所長は、仮想空間やAIが人間自らを滅ぼす主な理由を次のように言っている。
「仮想空間やAIには、感情や文脈はありません。巧妙に、あるかのように見せかけてはいるけれど、ない。すごく自然にしゃべっているように見えるAIも、言語と論理によって成り立っている計算機にすぎない。私はそれが怖いんです。巧妙に現実世界を模倣しているけれど、実は言語化できない感情や身体性を切り捨てている仮想空間やAIが存在感を増すと,我々人間の脳もそちらに引っ張られて、感情や身体性を捨てることになるじゃないのかなと。」

仮想空間やAIなどは止めようとしても止まらないのは歴史が示している。技術の発展は止めることができないのである。故に、我々人間ができることは、その技術を上手く取り入れることと、その技術の影の部分と負の部分を補うことだろう。
そして私が直感したのは、合気道こそ、その欠ける部分や負の部分を補う事ができるのではないかということである。これから問題になる感情と人間性を取り戻す事である。これから人間が無意識のうちに捨てていくだろう感情や身体性を取り戻すことが出来るのは合気道であると思うのである。

まず、山極所長が指定している問題の原因の一端は、私たちが言葉に依存し過ぎていて別のタイプのコミュニケーションをおろそかにしていることということである。言葉に依存し過ぎているとうことは、書かれた文字や描かれた映像を表面だけを見て信じてしまうということであり、その文字や映像の背景や創作者の気持ち、理由、真意などの感情を無視するか、不問にするということである。
合気道的に云えば、目に見えるモノに価値を置いているということである。合気道では目で見えないモノを見なければならないので、合気道の稽古をしていけばこの問題は解決するはずである。
因みに、目に見えるモノだけを見ているからフェイクニュースや動画に翻弄されることになると思う。(但し、己自身が引っかからないという自信はない)

次に、身体性の欠如の問題である。
合気道の身体性は問題ないだろう。己の身体の隅々まで使用し、働いてもらうわけだから、技の稽古をしていけば、身体性は自ずから身に着くからである。合気道は、スポーツなどのように必要な部位をつかったり、駆使するのではなく、身体全体を統合してつかわなければならない。慣れてくれば、身体が思うように働いてくれるようになる。
更に、身体は己の所有物ではない事がわかり、身体と友人になる。そして身体の友人に感謝し、お願いをするようになる。身体はお迎えが来た時にお返ししなければならない借り物なのである。

合気道は相対で身体と身体が触れ合って技をつかう武道である。己の身体と各部位を駆使し、相手の身体を己の身体と一体化する。相手を己の身体の一部にしてしまうのである。技をつかうに当っての必要条件である。もし、相手と結ばずにバラバラであれば、相手は相手の好きなように動くから、こちらの技と合わず争いになることになる。
相手と争いにならないためには、身体の一体化であるが、そのためには心の一体化が必須になる。心の一体化が共感であり、共栄であると考える。
共感は技と体の動きが自然であることにあると考える。自然とは人為的でないという事であり、人為的でないということは宇宙の理合、宇宙の営み・法則に則っているということになるだろう。人は、というよりも万有万物はこの宇宙の営みの中で、宇宙の法則に則って生存しているわけだから、その宇宙に則った技と動きには何物も反抗しないで共感することになるのである。
また、また、合気道の稽古の目的は地上楽園建設への生成化育である。技を練りながら、この目標に向かっているわけである。これは初期の頃は意識できないが、修業が進むにつれて自覚出来るようになるはずだし、自覚出来るようにならなければならない。これが合気道の修業での共栄と言えよう。この共栄を合気道界だけでなく、徐々に世に広めていくのも合気道の目標なのである。

これらが上記の別のタイプのコミュニケーションであり、合気道が提供できるものだと、今の処の考である。


<参考文献>
『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極寿一統合地球環境学研究所所長、鈴木俊貴東京大学先端科学技術研究センター准教授著 集英社)