【第958回】 魄を大事に扱う
合気道の技をつかうに当って魄に頼ってはいけないとか、腕力に頼っては駄目だ等と言われているので、魄の力をつかわないようにしてきた。確かに、初心者を見ていると魄に頼る技づかいをしているし、また、己自身も過ってはそうしていたから、魄の力は気や魂の力に比べれば次元が低いと考え、魄を軽視してきていた。尚、魄とは、魂魄の魄であり、また身体のことでもあるが、両方の意味でつかうことにする。
しかし、気の力がつかえるようになり、魂の次元に入ろうとする段階になると、魄の大事さや重要さが分かってくるのである。それに気づくと、大先生が魄を大事に扱わなければならないと、次のように教えておられた事が思い出される。
- 「真の自分のものを生み出す場処である体を大事に扱い、魄を大事に扱うことを忘れてはいけません。」
- 「即ち魄の中に神が入り、魄を育て魄は魂を守るのです。他に神があるのではなく、生まれながらに天から授かっているのです。魄をもったことは天からの使命を持たされたことなのです。魄を育てあげるだけの能力を持たされているのです。これが祭政一致の本義なのです。」
魄の重要性で最近分かった事は、気が生まれ、働くためには魄の身体がしっかりと鍛えられていなければならないことである。体が出来ていなければ、気が働いてくれず、技にならないのである。
そこで技が上手くつかえない場合、その原因は魄(身体)の問題ではないかと考え、当該箇所と思われる魄を強化したり、改善してみると、魄の強化やつかい方により、気がよりよく働き、技も上手くいく事を実感したのである。
それでは魄(身体)を大事に扱うとはどういうことかを考えてみたいと思う。
一番分かりやすいのは、この定義の反対の言葉「大事に扱わない」を考えればいい。大事に扱わないということは、魄の身体を十分鍛えないことと、ルールや規範がなくメチャクチャにつかうという事である。
魄を大事に扱うとは次のようであると考える。二つに分けられる。<魄をつくると鍛える>と<魄を大事につかう>である。
<魄をつくると鍛える>
- 魄を剛柔流の三元でつかう。そのために魄を剛柔流に鍛えなければならない
- 動、静、解、疑、強、弱、合、分の八力が生まれるようにする
- 一霊四魂(奇霊、荒霊、和霊、幸霊)で剛柔流に働く魄にする
- 十字に働く魄にする。縦に伸び、横に拡がり、そして縮む身体にする
- 魄(身体)の各部位が連携して働く(機能する)ようにする
- 魄が統一して働けるようにする。つまり身体がばらばらにならないようにする
- 統一するために身体のすべての各部位バラバラに独立して鍛える。各部位でも技がつかえるようになるまで鍛える。例えば、手首や肘で技をつかえるようにする等
<魄を大事につかう>
- イクムスビの息づかいで魄をつかう
- 布斗麻邇御霊で魄をつかう
- 息陰陽水火で魄をつかう等
これで、所謂、魄が下になり魂が上になるに繋がってくる。土台の魄がしっかりしなければ上の気や魂が働けないのである。つまり、魄がしっかりすると、その上に気や魂がのり、働くようになる。この為にも魄を大事にしなければならないのである。
以上が、魄を大事に扱うということであると考える。
要は、霊や気、そして魂が働きやすい身体の魄をつくるということになるだろう。魄は大事に扱わなければならないのである。
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