このテーマは以前にも何回も書いているが、最近、後輩たちが稽古に行き詰り迷っているのを多く見かけるようになり、その解決法がこれであると確信したからである。
合気道の稽古は、相対で基本技を繰り返し稽古しながら精進していく。初めのうちはその基本技を取りと受けで覚えることが稽古になるし、励みになる。一教〜三教を覚え、四方投げや入身投げや小手返しなどの形を身に着けるわけである。この時点では基本の形を覚えるという目標があるから問題はない。形を覚えて相手が倒れてくれればうれしい。合気道の稽古が楽しい。
しかし、この稽古を長年続けて行くと、稽古をしてもその当時ほどの喜びが無くなって来る。当初の目の輝きも無くなって来る。
最近これが気になり、他人事ではあるが、何とかならないものかと考えてみた。
まず、喜びや目の輝き減少の理由である。私の見るところ、その原因は稽古の目標が無くなったことだと見る。以前は技の形を覚える目標があったわけだが、ある程度覚えてしまった後、今度は何を目指せばいいのかがわからなくなってしまったわけである。故に、目標がないまま技をただ繰り返して稽古しているのである。
次に、それでは何を目指せば元気溌剌な稽古ができるようになるかということである。
その私の答えは、それまで身に着けた基本技(一教、四方投げ等)を形にはめ込んでいく事である。例えば、手始めに、「足を左右規則的に陰陽につかう」である。正面打ち入身投げで足を右→左→右→左→右とつかう。この右、左の順が狂えば技にならないことがわかるはずだから、足の形に入り込む意味がわかるし、形に入り込む重要性と楽しさに気がつくはずである。
そこで手も左右規則的に引用につかうのである。正面打ち一教は手を右、左を陰陽に交互に規則的につかわなければ技にならない。
また、手、足、腹を十字の形にはめ込んでいく。技が上手く掛からなかったり、不完全な場合は不完全に形にはめ込んでいる結果である。最初の相手との接触は手先と腹が十字にならなければならないから技にならないのである。
更に、イクムスビの息づかいの形に技はめ込んでいく。イと息を吐き手を出し相手と接触し、クで息を引き乍ら相手を導き、ムで相手を極めたり投げるのである。
これらは以前にも書いたと思うが、更にはめ込むべき形があるので記す。
それは、まず、布斗麻邇御霊である。