最近は布斗麻邇御霊とか息陰陽水火等の精神的な稽古と研究を集中してやってきた。以前は手とか足とか、腹、腰などと肉体的な研究と稽古をしてきた。そのこともあって、肉体的な探究は魄の次元での稽古であり、精神的な稽古は幽界・神界の稽古であると思ってしまい、肉体的な探究を疎かにしていた。
毎朝、拝読している『合気神髄』の本日の箇所に次のような教えがあり、目が覚めた。
その教えは、「合気はこういう精神の道と体の道とが、一つになって進むのである」(合気神髄 P.41)である。つまり、精神的な探究だけでなく、己の肉体的な探究も怠ってはいけないし、精神と肉体を優劣なく精進していかなければならないという事なのである。
この教えを読んで悟る事があった。それはこれまで苦労していた息陰陽の問題が解消されたのである。頭では分かっているし、こうすればいいと分かって技をつかってきたが、上手く行く時もあれば行かない時もあり、不良品の技が出ていたのである。息陰陽に水火を加え、布斗麻邇御霊の助け、△○□を取り入れてやってみるのだが不良品の山が出来るだけなのである。
息陰陽で身体をつかうのは、頭ではわかるのだが難しいのである。
相手が打ってきたり、掴んでくる手に対して、こちらの手を出すわけだが、息を引きながら手を出すと、手は相手を引きつけるのである。これが息陰での手である。(因みに、この息を引くのは腹中の息であり、口中の息は出る。)
息を吐きながら、手も前に出せば“息陰”ではなく“息陽”となってしまう。以前はこれでやっていた。所謂、魄の稽古である。
しかし、まだ何かしっくりせず体も心も満足してくれなかったのである。
そして遂にその問題が解決される事になる。問題を解決してくれたのが「手の人差し指」である。目に見えない精神的なモノではなく、目に見える肉体が解決してくれたのである。人差し指をつかうことによって息陰陽の問題がほぼ解消されると共に、息陰陽の理合いを体で実感し、体の神秘的な機能、宇宙との一体性などを自覚できるようになった。
人差し指の素晴らしい働きである。
息陰陽の息陰は“う”声(言霊)で息を吐くと腹が膨れる、布斗麻邇御霊のである。“う”声が強力であればあるほど腹中は大きく膨れる。ここまでは手が前に出ている状況なので、このままでは手は相手にぶつかることになる。息も手も陽々だからである。
この陽の手を陰に返るのが人差し指である。“う”と息を吐きながら、人差し指に腹からの力(気)を流すのである。更に先に力を入れると人差し指は先に進もうとするが他の指(親指と中指・薬指・小指)が陰(腰腹方向)に引かれる。人差し指には縦の陽、他の指は横に拡がり陰と、縦横十字の気が生まれ頑強な手になる。これは水火でもある。水は縦の吐く息、火は横に引く息であるからである。息陰陽水火である。
横に拡がる陰の手は指先→手掌→手首→肘→肩→胸鎖関節に気が流れ・気が張る。この陰の手で手を出すのである。この手の出し方は難しいが、居合の息と手でやるとわかりやすい。居合で稽古するのもいいだろう。
また、人差し指を息陰陽でつかえるようになると人差し指に大事な働きがあることが分かるし、それをつかわなければならない事もわかる。
それは人差し指と言われるように、自分の進む方向を示す役割である。故に、人差し指は制すべき相手の中心線上に向かう事になる。人差し指が正しい方向を指していなければいい技にならない。
人差し指の指一本で技がかわってしまったわけである。頭だけではなく体もまだまだ探究しなければならないようである。