【第956回】 ことごとく技が変わっていく

大分昔の話になるが、大先生の話で驚き、困惑したことがある。入門して数年しか経っていなかったので、大先生のお話など難しくてほとんど解らなかったし、分からないのが当然だと聞き流していた。しかし、その時のお話は気になった。
それは、「合気道は、周知のごとく年ごとに、ことごとく技が変わっていくのが本義である」と話されたのである。稽古をしている我々は、技は決まったモノであるはずだから、それを目指して稽古をしていると思っているので、その技がコロコロ変わられたら困ってしまうと思ったのである。

数十年後もこの意味は解らないままだった。その後、少しずつ合気道が分かってくるのだが、ますますこの問題は分からなくなった。何故なら、合気道の技は宇宙の営みを形にした、宇宙の法則に則ったモノであるということが分かった事もあり、技は絶対的に極まったもので、変わらないものであるはずだと思ったのである。
しかし、大先生は間違ったことは言われない事は知っているので、技が変わっていく事は間違いないし、それが分からないのは自分のレベルの低さと稽古不足であると思い、その内にこの問題を解決したいと思っていた。

そして遂に、「このことごとく技が変わっていく」が分かった。
これまで20年にわたって合気道精進の論文を書き続けているが、その中に答えがあったのである。
例えば、手の上げ方、つかい方である。これに関して何度も書いている。
手は腹と結んで腹で手をつかう。腰と手を結ぶ。長い手をつくる。強靭な手をつくる。十字で手をつくり、つかう。手は伊邪那岐、伊邪那美に神習う。手先・指先を伸ばす。手は刀としてつかう。魂が表になる手。居合の刀を抜く手。親指を体に手をつかう。息陰陽で手をつかう等などである。
毎回、これこそが最高の手のつかい方、つまり技(テクニック)であると思っていたわけだが、次々に技(テクニック)が現われてきたのである。それの繰り返しであったわけである。技が変わっていったのである。

今、技が変わっていくことを実感しているのは、相手が打ってきたり、掴んでくる手に対してのこちらの手の出し方の技である。
これまでの最終的な手の出し方は、息陰陽での人差し指を中心に親指と小指を内回転・外回転させて人差し指を相手に向けて出すものであった。しかし、更なる手の出し方(技)を見つけた。
新たな技は息陰で手の平を開き、親指の先端と人差し指の先端を結んだ延長上に目標を置くのである。この三角形の手先をつかえば手先は安定するし、大きな力も出、手が気で満ち頑強な手になる。しかし不思議な事に、人差し指が目標に向かうのである。つまり親指と人差し指の△により、人差し指がより強靭になり、更に手・腕も強靭になる。
また、小指と人差し指の関係も親指と人差し指と同じようであるようなので、今実験中である。

これで技はことごとく変わっていくということだと実感出来たのである。

「合気は日々、新しく天の運化とともに古き衣を脱ぎかえ、成長達成向上を続け、研修している。昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。」とも教えておられる。技が変わるとは、「古き衣を脱ぎかえ」ことであり、それによって成長達成向上を続けることができるということなのである。
鳥船(舟漕ぎ運動)でも同じことをやっていては駄目で、古き衣を脱ぎかえ、成長達成向上を続けなければならないのである。私は毎朝の舟漕ぎ運動の中でいろいろな事(技)を試している。因みに、今朝は足首の鍛練で、足首を縦と横につかう事であった。「古き衣を脱ぎかえ」を実感する。
要は、技にしろ、体操にしても常に新たな衣に着替えていかなければならないという事である。これが技が変わっていくということのはずである。ということは技の追求に終わりがないという事である。完成できない事を知りながら挑戦するのである。ロマンである。