【第955回】 旅を楽しむ

傘寿を過ぎ、女房も無く一人で生きている。周りを見ると一人暮らしの高齢者は孤独で寂しく生きているようであるが、私の場合は孤独とか寂しさはない。逆に一人でいることに感謝している。勿論、女房がいた時はいた時で楽しくやっていたし、一人になってしまった直後はどうなるか心配した。

何故、一人でも孤独でなく、楽しくやっているのかを考えてみた。その基盤は自由である事である。何でもやりたいことが出来ること。行きたいときに、どこにでも行けるし、やりたい事もやりたい時にできる。しかし、これは基盤であって、これだけでは楽しくないし、寂しい限りであるはずだ。定年後に自由になった高齢者を街で沢山見かけるがそれでも分かる。

自分が孤独を感じず、超高齢期を満喫している最大の理由は“旅”を楽しんでいるからだと考える。毎日、いろいろな旅に行って楽しんでいるのである。
朝、目が覚めれば、今日の旅はどうなるかが楽しみになる。
若い頃の旅は、海外旅行とか名所めぐり等と移動し、ご当地の景色を見たり、食を楽しんだり、人と触れ合うことであった。言うなれば、平面的、二次元的な旅である。物理的、肉体的な旅である。
しかし、超高齢になった今の旅はこれとは違う。言うなれば、多層的な異次元の旅である。精神的心の旅とも言えよう。

朝も旅から始まる。目覚めて、さあ、旅に出るかと思い、今日はこんな予定があるなとか、こんなことをしてみたいなと何かが教えてくれる。そしてそろそろ起きて禊をしたらどうだと言ってくるので起き上がる。これで朝の目覚めの旅は終了となる。
因みに一日の最後の旅は就寝である。どんな夢の旅になるか楽しみに床に就く。

禊に入るが、これは禊ぎの旅である。前の同じところに行き着く時もあるし、別なところに行く時もある。新たな発見の旅ということになる。また、同じところであっても更に奥に進む場合もある。これは精進、上達の旅ということになる。

旅に出れば何らかの発見があり、喜びがある。週に三日、本部道場の稽古に旅もする。今日はこれを研究しようと目的を持っての旅の場合もあるし、道場稽古から貴重なものを得る旅になる事もある。
禊もそうだが、道場の旅は合気道本来の旅を楽しむ事が出来る。顕幽神界の旅である。顕界から幽界、そして神界への旅が出来るという事である。私の場合はまだ幽界までの旅しか出来ないが、大先生は神界までも旅されていたようで、顕幽神界を出入りされていたと言われていた。

合気道にはもう一つの旅がある。それは過去・現在・未来への旅である。現在から過去の旅は、以前に教わった師範や先輩、過っての名人・達人の教えを思い出したり、探究する事等であろう。また、現在から未来の旅は、合気道が目指す地上楽園、宇宙天国への旅と考える。

毎日、そして常に旅をしていれば楽しい。自分が変わって行くからである。自分が変われば明日が楽しみになり、一年後、そして10年後が楽しみになる。これが長生きの最大の秘訣であると考えている。
最後に、人生は楽しい旅だったと思えればいい。