【第954回】 幽は仏の世界
合気道は顕幽神界を禊ぎ、浄める、顕幽神界の禊ぎ、つまり顕幽神界の技がつかえなければならないと考える。
顕界は魄、幽界は気、神界は魂の技づかいとなる。顕界の魄の技づかいは、物質的・物理的、本能的・闘争的で誰もが体験していることなので、今さら説明する必要もないだろう。只、魄の顕界の稽古も大事である事を肝に銘じなければならないだろう。
問題は幽界と神界であるが、今回は幽界に絞ることにする。幽界が十分に分からなければ神界など分かるはずがないからである。また、幽界の稽古が多少出来るようになってきたので、この辺で一度まとめなければならないと思っていることもある。
顕界は魄の技づかいに対し、幽界は気での技づかいである。息や体の十字から気を生み出し、その気で技と体を練っていく稽古である。気の技は相手を気の引力でくっつけてしまい、また、相手を凝結し一体化してしまう。
幽界と気に関しては、この辺までは分かったのだがまだ不十分である。何故不十分かと言うと、この程度では次の神界の魂の次元に入る事が出来そうにないからである。幽界については更なる探究が必要なのである。
大先生は、幽・幽界は仏の世界であると教えておられるのを思い出した。もしかするとこれが神界の魂の次元に入るための助けになるかもしれないと考えるのである。
大先生の教えを調べてみると、大先生は顕幽神だけでなく、“仏”、“仏の世界”を重視されていることが分かる。その例を下記に書き出してみる。そしてこの教えから分かったことをその下に記して見る(<>内にイタリック文字で)。
- 顕は顕れた世界、幽は仏の世界、仏教です。神は神の世界。
水の世界にも顕幽神の三界がある。顕幽神というのは、つまり顕界は、この世の世界、また幽界は仏教の世界、神界は魂の世界。この三つの世界を建てかえ、立て直しをしなければいけない。(合気神髄p.138)
<幽は仏の世界、仏教であり、幽界は仏教の世界であるということである。>
- 神は目に見えず、手で掴めません。なぜなら神は霊の霊であり、仏は物の霊なのです。(武産合気P53)
<仏は物の霊である。実在するもの、実在した物の霊ということである。今は存在しないが、実在した名人・達人、師匠、先輩の他、海山川草木などの霊と考える。神は実在しない霊の霊であるから会得しがたいが、仏の物の霊は掴みやすいだろう。有川先生の教えも幽の仏の世界の教え(霊)ということになるだろう>
- 祈りは光であり、熱であり諸神諸仏と共に、天地の営みの道に沿ってゆかなければならない。(武産合気P.76)
<“諸神諸仏と共に”とあるように、神と仏は、霊の霊と物の霊との違いがあるが共に働いているということだと考える。>
- 自分のイキ自分の魂の動きによって、この世の汚れを払い、そして万有万神、顕幽神三界の神も仏もみな集まって、自分の魂に集まって共に和合し、この世の清い営みにいつまでもご奉公すること(武産合気P112)
<自分のイキによって自分の魂が動き禊をすると、顕幽神三界の神も仏もみな集まって和合し働いてくれる。>
- 人は顕幽神三界の理を悉く胎蔵し、これを調和する主体にならねば、何時迄たっても、大神様の大み心、大み心は既に地上に現われているのにかかわらず、掴むことが出来ません。
今、顕界を思えば、明るい天照るの人となるのであります。また仏の世界も眺めつつ行うことが出来、神の世界もその通りであります。人は思うままに三界を日々織りなし、心も持ちよう一つで、宇内を開くことが与えられているのであります。(武産合気P.39)
<人は仏の世界(幽界)を眺めることも、また神界を開くことができ、顕幽神界の三界に遊ぶ事ができるということだろう。>
- 多宝仏塔は自己の中に建てるよう。聖地や寺に建てるだけではなく、各位の中に建てることである。その日の来るのを待っている。そして“身(み)変(かえる)”、すなわちどんな形にも身を変えて衆生を済度する観世音菩薩、最勝如来のようになっていただきたい。と同時に日本が多宝仏塔としてあるべきだろう。(合気神髄P.15)
<合気道の目標に人々を導くためには、観世音菩薩のように“身(み)変(かえる)”ことが必要であるということだろう。神ではなく仏である。観世音菩薩とは、世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩といわれるから、ひびきによって物を観、人を導くようになれということなのだろう。>
ここまで分かった事をまとめると、幽は仏の世界、幽界は仏教の世界であること、仏は物の霊であり、霊の霊の神よりも近寄り易いこと、仏と神は共にあること、人は仏の世界(幽界)を眺めることも、三界に遊ぶ事ができるということ、そして幽界の仏の世界では“身(み)変(かえる)”ことも必要であること等がわかった。しかし、少し前進したがまだ消化不良である。更なる探究が必要である。
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