【第953回】 天地自然と仲よくする

70歳を越えた頃から身体の機能の衰えを感じるようになった。それまでのようにさっさと歩けないし、長くも歩けなくなった。階段を上り下りするのもおっくうになったし、坂の上り下りもきつくなった。それまでは高尾山などにも頻繁に登っていたが、登る気にもならなくなっていた。
合気道の稽古でも元気な若者を投げ飛ばす元気も無くなったし、跳び受身どころか前受身も取れなくなってきた。

合気道の稽古を続けているから元気だし、合気道の稽古をしている間は身体的な問題はないだろうと思い込んでいたが、現実はそうではなかったわけである。合気道をやっていても老化はあるのである。
80歳に近づくと老化は更に深刻になった。まともに歩く事が困難になるし、朝、寝床から起き上がる度に目まいがするようになった。
これらの老化の問題を解決すべく挑戦することになる。そして分かった事は、この問題は若い頃の問題とは違うから、若い頃の解決法ではなく、全く新しい解決法を見つけなければならないということである。言うなれば、再生、再出発である。幼児の時のように新たに学び、身につけて行くことになる。若い頃から身に着けたモノは退化し使えなくなるから新たなモノが必要になるのである。例えば、歩行が難しくなったから、歩けばいい、走ればいいということにはならないのである。
  
もう一つの方法は、合気道の教えに学ぶことである。合気の知恵を取り入れるのである。技の宇宙の法則を活用するのである。法則は万有万物や時間・時期に関係なく通用するわけだから老齢・老化にも適用されるはずである。ここにも合気道を学ぶ意義があるわけである。 
それでは上記の老化の問題をどのように解決しているかというと、
まず、「立ちくらみ」は「呼吸が右に螺旋して舞昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生する、摩擦連行作用を生じる。」の摩擦連行作用の教えである。起き上がる際、息と気を右に螺旋で上げ、そして左の螺旋で地に落とし、それをまた右の螺旋で腹に収めるのである。お陰で「立ちくらみは」無くなり、頭と天が結び天に引かれるように立ち上がれるようになる。これは誰にでも出来るはずである。何せ、宇宙の法則の教えだからである。
これは天地とも仲良くなるということでもある。天と地に感謝し、お礼し、お願いするのである。故に、朝のお日様へのご挨拶が大事になるのである。これが祈りであろう。

次は歩行である。若い元気な頃は気にもしていなかったが、年を取って満足に歩行ができなくなってくると、人が二足で歩ける不思議さ有難さが分かるようになる。よく観察してみれば、引力に逆らって、二本の足で立ち、そして二本の足を交互に出して歩くのである。大変な作業である。
子供や若い頃は無意識で歩いたわけだが、年を取るとそうはいかなくなる。歩けるようになるためには努力がいることになる。
進まなくなった足を進める、着地した足と体がふら付かないようにし、次の足が出るようにしなければならないのである。

これらの問題を解決しスムーズに歩けるようにするために、最近、合気道の知恵(法則)をつかうようになり大分よくなった。
その知恵とは「息陰陽」である。動作(例えば手を出す、足を出す)は息を引いてで始まり、次に息を吐くである。息陰陽、陰陽の繰り返しである。足を上げる際、息陰陽でやるのである。息を引きながら上げ、息を吐きながら他方の足を地に着き、そしてその足を息を引きながら上げるを繰り返すのである。逆に、足を上げる際に足で地を蹴るようにあげれば息陽陽になってしまい、法則違反になるので足と体はふらつくことになる。
足を宇宙の法則に則って使うこと以外に、足に感謝することも大事である。足もお借りしているモノである。いずれお返しするまで働いてもらっているわけだから仲良くしなければならない。感謝とお礼がなければお願いは敵わないだろう。

年を取ってきたら天地自然と仲よくすることである。仲よくするとは天地自然に合わせることである。理合いで体をつかう、生活するということだろう。そのためには自我を無くし、天地自然への感謝を忘れない事だと思う。