【第947回】 西北(いぬい)は物と心の始まり

これまで技を掛ける際に何処を、何を支点に体を動かせばいいのか迷っていた。後ろ足なのか、前足なのか、両足の中心なのかである。その支点、つまりたいがなければようが働けないから、支点が必須なのである。ここが動き、働きの始めの始点ということになる。
技を掛け、剣(木刀)を振りなどしながら探していたが、居合の剣を抜いているとここを始めにつかえばいいのではないかという閃きがあった。身体の動きがしっくりいき、身体が納得すると同時に大先生の教え「西北(乾)は物と心の始まり」が頭に浮かび、それと一致したからである。
「うぶすの杜の構え」で居合の剣を抜くのである。これまでも「うぶすの杜の構え」と「西北(乾)は物と心の始まり」は研究してきたが、頭も身体もまだ十分に納得してくれていなかった。

今回は頭も身体も納得してくれているようであるので、「西北(乾)は物と心の始まり」及び「うぶすの杜の構え」とはどういうものなのか、どのような働きがあるのか、何故、大事なのか等を記す。
まず、「うぶすの杜の構え」とはどういう構えになるのかというのを大先生のその構えの写真(下記)で示す。

大先生の「うぶすの杜の構え」
次に、大先生の「うぶすの杜の構え」の足底がどのようになっているかを示すと下記のようになるはずである。
次に、大先生の「西北(乾)は物と心の始まり」と「うぶすの杜の構え」の教えである。大先生はそれを次のように教えておられる。 片手取り呼吸法も正面打ち一教も、西北(乾)は物と心の始まり」及び「うぶすの杜の構え」でやれば大分上手くいくこと間違いないし、これでやらなければならないと確信した次第である。片手取り呼吸法も正面打ち一教だけでなく、すべての技、例えば、坐技呼吸法でも、そしてまた、居合、剣(木刀)の素振りでも西北(乾)から始めて行こうと思う。