久しぶりにCDでフランスのシャンソンを聴いた。季節や気分に合わせていろいろな国の曲を聴いているが、その日はシャンソンであった。何度もこのCDは聴いているので別段変わったこともなく聞き流していた。
CDを掛けるのは合気道の論文を書くことに集中するためである。それまで見ていたテレビや新聞から離れ、気持ちを切り替え、論文に集中するために聴くようにしているのである。特に集中できるCDが二つある。一つはこのフランスのシャンソンともう一つはチロル地方の楽器であるチターのCDである。シャンソンの方には歌があり、チターの方は演奏だけなので歌が無い方が集中できるはずだが、歌つきのシャンソンでも集中できるのが不思議だった。
何度も聴いてきたシャンソンだが、ある事に気がついた。それはロマンチックで、流れるようなフランス語であるが、言葉(歌詞)の一つ一つが明確に確実に歌われている事である。私のようなフランス語がよくわからない者でも一語一語書き取る事が出来そうに明瞭に歌われているのである。言葉(歌詞)の省略や軽視がないし、どの言葉も一語一語大事にして歌っているように思えるのである。
更に、その歌の演奏をする曲の音符一つ一つも明確で確実に演奏されているようである。歌のないチターの楽器だけの演奏ではそれがよく見える。それがいい音楽という事だと思う。安心して聴けるということである。
これまで素晴らしいと評価されている書や絵画を見て感動させられてきたが、その感動の理由も、どんな箇所も一つ一つを大事にしていることだったということが分かった。どの部分を見ても間違いや省略や手抜きしたところはなく、少しも手を加えたり、補充する必要を感じさせないのである。武道的に云えば、一つ一つの技や動きに気が抜けていない、隙がないということになるだろう。
名演奏や名画、名筆はどの箇所一つ一つにも気が満ち、隙がないということになるとしたら、真の合気道もそうあるべきだろう。手を出す、足を進める、相手と接す、相手を導く、相手を倒す等々の各動作の他、例えば、手の縦横縦の十字、息陰陽、水火等々を一つ一つ確実に、大切に、気を入れ、隙がないようにしなければならないことになるだろう。一つ一つを確実にやるべき事は上述のようにいくらでもある。それをやり遂げられたのが、合気道の開祖植芝盛平翁である。開祖の技は、一つ一つを大事にされている故、どの部分を切り取ってみても芸術的にも美しく、武道的には隙がなく磐石なのである。開祖を見習って、己の技と動きを一つ一つ確実に築き上げていきたいものである。