【第946回】 頭の働きは手にまかせ、胴の働きは足にもっていく

これまでも「頭の働きは手にまかす」を書いてきた。第894回第761回である。一年以上前に書いたわけだが、今回はその頃のものと大分違うし、真逆のものもあるようだ。しかし、だからと言って以前の考え方、やり方は間違っていたとは言えないと思う。合気道の修業の過程、技づかい、体づくり等を考えれば明確である。合気道の修業には段階があり、その段階が変われば、多くの場合、それまでのやり方、考え方が真逆になるからである。例えば、顕界・魄の次元の稽古では肉体的な力、魄力をつけ、つかう事をよしとするが、幽界の稽古に入れば魄力をつかっての技づかいはよしとしない事などである。つまり、やるべきと思う事を真摯にやっていけば違うことになるが、その結果に間違いはないということであると考える。たとえ失敗であっても、間違いであっても最後は成功の糧になるのである。

最近は、論文に書いてきているように、体を軸にし、その軸の移動によって技をつかうようにしている。頭―胴(腹)―足の軸である。
これで正面打ち一教の単独動作をすると、軸になるように手を前に出すと頭が手に従って出てくるし、胴(腹)が足の上にのるのである。
そしてこれが大先生の教えであるとピンと来たのである。その教えは、
頭の働きは両手にまかす。これが伊邪那岐、伊邪那美の大神様の気を受け、神習うていかなければならない。そこで「からだ」は五臓五体、造り主に神習う。また足は、胴の動きは両足に持っていかなければならない。これが高御産巣日の霊的な祖、これが体的な祖に結んでいかなければならない。」(合気神髄P.146)である。 この軸のイメージと手にまかせた頭の働きと足に持っていく胴の働きは下記の大先生と有川定輝先生に見られるだろう。

この軸をつくるためには、頭で手をつかうのではなく、手が先に動いて頭がそれについていくのである。手は息陰陽と水火で体の中心の中線上を自然と(無意識で)上がっていく。手を上げるのではない。手を上げるということは頭の働きでやるということで、手にまかせていない事になるのである。手が上がり、頭(顔)が手に従うと、手は手鏡になる。これまでやってきた事につながったわけである。
軸から軸への移動で左右動くから、手は左右の両手をつかうことになる。故に、「頭の働きは両手にまかす」となる。
過っては、頭を先に動かしてその頭に従って手を出すとか、頭とは物質的な頭ではなく、精神的な頭であり、手はその精神的な頭、つまり心であろうとも考えた。これが今回ですっきりした。
実際に「頭の働きは手にまかす」と強靱な手と体ができるが、頭で手をつかうと隙ができてしまい少し脆弱な手と体になると実感する。

足も、「胴の動きは両足に持っていかなければならない」となる。胴(これまでは腹、腰腹、体、体幹などと書いてきた)は、腹踊りなどのように適当に動かすのではなく、軸になる足の上にもっていかなければならないということなのである。胴(腹)が足先に対して十字になり、腹(胴)―頭(過)―足の軸ができるのである。

頭の働きは手にまかせ、胴の働きは足にもっていくようになると、真の合気道の稽古をしていると実感する。