【第943回】 真空の気
これまで空の気と真空の気に関して10回以上も書いてきているが、読み返してみると、よく分からずに書いていることがわかる。少しでも分かろうと四苦八苦している姿が見える。書いている本人がよく分からないのだから、読んだ人はもっと分からないだろう。歯がゆい思いであるが、分からない事を解明していくためには仕方がないだろう。挑戦と反省と修正、そして更なる挑戦の繰り返しであるからである。
お陰で真空の気、空の気と真空の気の関係などが、己が納得できるまでに至った。これまでの試行錯誤のプロセスは無駄ではなかったことになる。
これが真空の気ではないかと思ったのは、「合気道の体をつくる」『第942回 動きを止めない、技を切らない』、「合気道上達の秘訣」『第942回 水火で体と技をつかう』にあるような体づかいや技づかいをしている中であった。
腹中に気が満ち、そしてその気が胸中に満ち強力な力が手先から出るようになったのである。相手が思い切り頑張っている二教裏の手でも容易に決めてしまったのである。そしてこれが合気道の技であるとはじめて実感できたのである。
そこでこのような技に関して何か大先生の教えがないか調べてみた。技は法則に則っているから、このような摩訶不思議な技にも法則があり、その教えがあると考えたわけである。
そしてそれこそが真空の気の教えであったのである。
下記に大先生の教えを記すが、これを体で実感できたのである。
- 「合気の道を究めるには、まず真空の気と空の気を、性と業とに結び合わせ、喰い入り乍ら技の上に科学を以て錬磨するのが修業の順序であります。」
- 「空の気は重い力を持っております。身の軽さ、早業は真空の気を持ってせねばなりません。空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。
- 弓を気一杯に引っ張ると同じに、真空の気を一杯に五体に吸い込み清らかならば真空の気がいちはやく五体入り、技と力を生む。」である。
- 「技を生み出す、ということは真空の気と空の気を、性と技とに結び合ってくり入れながら、技の上に科学する。これをフトマニ古事記によって、技を生み出していかなければならない。」
- 道歌「真空の空のむすびのなかりせば合気の道は知るよしもなし」
先ず実感した事は、空の気とは腹中の気であることである。フトマニの御霊の

である。そして真空の気は

であり胸中の気である。空の気は重く、真空の気は軽く、自由である。
腹中を拡げると空の気が胸中に入り満ちる。真空の空のむすびである。胸中に気を満たすためには胸を弓を気一杯引くように拡げる。これまでは腹中の

で技をつかっており、胸中の気

はつかっていなかった。このために技や動きが切れたり、大きな力も出なかったわけである。
因みに、これまで間違っていたことは「真空」の考え方である。真空をバキュームの真空と思っていたわけで、頭で解決しようとする典型的な弊害である。真空の気とは“真の空の気”ということのはずである。体がそう教えてくれるのである。“真の空の気”とは魂ということになるはずである。
大先生の教えと矛盾することなく実感できること、これまでのとは異なる技が生まれた事など、そして合気道の技をつかっているという実感からこれが真空の気に間違いないと確信したわけである。
また、最後の道歌にあるように、合気の技を生み出すには、空の気と真空の気の結びが必須であることも再確信したわけである。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
▲