【第94回】 道歌に奥義あり

開祖は約120の道歌を残されている。道歌は開祖が我々に伝えようとした合気道の奥義であるといえる。昔から大事なことを伝えるには、言葉で伝えたり、文章で説明したりするが、歌でも伝えられている。歌は思いを凝縮し、言葉を必要最小限に縮め、5,7,5、7,7の形式にまとめてあるので頭に入りやすく、覚えやすく、特に日本人の頭には残りやすい。またイメージが広がるので、凝縮されているものが無限に拡大し、別の世界にいざなってくれる。

真理の歌は時代に関係なく人の共感をよび、後世に伝わっていくことになる。剣道の「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込み見れば 跡は極楽」などは、われわれのように本格的に剣道をやっていないものの頭にも残っている。もしこの歌を文章に直して残そうとしたら、相当長い文章になるだろうし、文章では人の心にも残り難いだろうから、後世には残らなかったかも知れない。

開祖の道歌は、ご自分の修行で得た感動、敵に勝つための技術と心構えから、どんな敵、武器を持った多数の敵にも絶対不敗の構えと捌きをする極意、修行での行き詰まりを打開した方法、合気道の目指すべき目標などを歌に凝縮した奥義といえる。開祖を知らない稽古人も、道歌を通せば、開祖の一端を知ることができる貴重な資料である。

合気道を修行するものは、この開祖の道歌を勉強し、自分の稽古の中に取り入れていかねばならない。道歌は修行の方向、目標を教えてくれ、修正してくれる。修行をしていると、いろいろな問題がでてくるはずだ。初めのうちは自分で考えてそれを解決できるが、だんだん問題も大きくなり、自分だけでの解決は難しくなってくる。そんなとき道歌が助けてくれるかもしれない。

例えば、修行に行き詰まって、スランプに陥ったときなど、稽古とはどうあるべきかを教えてくれる「稽古心得」のような歌に次のようなものがある。

 〇 向上は秘事も稽古もあらばこそ 極意のぞむな前ぞ見えたり
 〇 合気とは筆や口にはつくされず 言ぶれせずに悟り行へ
 〇 合気とは解けばむつかし道なれど ありのままなる天のめぐりに
 〇 又しても行詰るたびに思ふかな いづとみづとの有難き道
 〇 常々の技の稽古に心せよ 一を以て万にあたるぞ修業者の道
 〇 日々に鍛えて磨きまたにごり 雄叫びせんと八大力王
 〇 武とはいえ声もすがたも影もなし 神に聞かれて答うすべなし

また絶対不敗の構えと心構えの奥義を、次のような歌で教えられている。

 〇 神ながら合気のわざを極むれば 如何なる敵も襲うすべなし
 〇 太刀ふるひ前にあるかと襲ひ来る 敵の後に吾は立ちけり
 〇 立ちむかふ剣の林を導くに こたては敵の心とぞ知れ
 〇 まが敵に切りつけさせて吾が姿 後に立ちて敵を切るべし

ひとはだれでも目標を掲げて修行しているが、時としてその目標を見失ったり、疑問に思ったりしてしまうことがある。合気道が目指す目標を、開祖は次のような歌で教えている。

 〇 美(うるわ)しきこの天地の御姿は 主の造りし一家なりけり
 〇 大宇宙合気の道はもろ人の 光となりて世をば開かん

合気道の形と「わざ」は秘儀であり、表と裏があるが、極意の稽古は表であると教えられている。楽な裏に逃げないで、表をしっかり修行せよとの教えである。

 〇 教には打突拍子さとく聞け 極意のけいこ表なりけり

また合気道を修行する上で知らなければならないことや、身を処する極意も歌われている。つまり、これができなければ合気道が分からないといわれているのである。開祖はよく、天の浮橋に立たなければ合気はできないとか、真空の気、空の気が分からなければ、合気は分からない等といわれていた。

 〇 真空と空のむすびのなかりせば 合気の道は知るよしもなし
 〇 みちたりし神の栄えの大宇宙 二度の岩戸は天の浮橋
 〇 火と水の合気にくみし橋の上 大海原にいける山彦

「わざ」をかけるときは十字にならないとかからない。合気道では十字は重要である。開祖は合気道を下記の歌で十字道、愛気十、合気十とも言われている。

 〇 天地の精魂凝りて十字道 世界和楽のむすぶ浮橋
 〇 千早ぶる神の仕組みの愛気十 八大力の神のさむはら
 〇 ありがたや伊都とみづとの合気十 ををしく進め瑞の御声に

合気道の道歌は120もある。何度も読めば迷いを解決してくれるだろうし、奥義を伝えてくれるだろう。奥義は意外と身近にあるもののようだ。