【第94回】 修行の奥深さ

合気道の修行の目的は人それぞれ違うだろうが、誰でも少しでも上手になりたいと思っているはずだ。合気道には試合も無く、スポーツのようにランク付けもないので、上達の程度はわからないものであるが、相対稽古で相手に触れて、一緒に稽古をしていけばある程度分かるものだ。長年稽古をしていくと、相手を押さえたり、投げたりできるようになり、そして「わざ」も効くようになってくる。そうするともう合気道が分かったように思ったりするようになってしまう。しかし修行はこれで終わりではない。というより、ここからが本当の修行になるともいえよう。

自分の合気道はこれでいい、ということはない。どんどん変わらなくてはならないし、合気道自身も変わっていく。合気道は日々新しく変わると、開祖は言われていた。それは天の運化とともに、古い衣を脱ぎかえて、成長、達成、向上を続けて修行していかなければならないからだ、と言われる。

合気道の誠の修行は、まず宇宙や地球からその真性を学び、宇宙と同化し、その真性を身魂で現わすことだという。次に、天地人和合の理を悟らなければならない。宇宙の理道はことごとく、宇宙は分身分業であり、秩序正しい一家のごとく、また一大巨人のようであり、至大無限の完成に輝いているという。合気道の修行を通して、自分が宇宙の分身であり、宇宙生成化成に携わっていることを自覚することである。そして宇宙のため、世のために身魂を磨き、天の使命に奉仕していかなければならない。

合気道は、人に勝つために修行するのではない。自分に与えられた天の使命、自己の使命に勝つために修行するのである。はじめは天地の使命と思い、正勝・吾勝・勝速日の道程によって修行を進めるのだそうだ。そして「自己の善とか正しきを忘れて、真の善や正しきを知らんまで(意識しなくなるまで)、先ず修行に励まなければなりません。天国の天人は天国の何人たるを知りません。それは天人そのものが天国であるからです。」(開祖)

このように、合気道は奥が深い。入り口の前で満足していてはいけない。しかしながら合気道は奥が深いが、遠くばかりを見るのもよくない。まず、足元を固めなければならない。つまり、形(かた)と「わざ」を通して体とこころをつくらなければならない。合気道の形と「わざ」は、「宇宙や地球からその真性を学び、宇宙と同化し、その真性を身魂で現わす」ための秘儀である。一歩一歩と地道な修行を続けていれば、奥に繋がるはずである。小さく出来上がらず、遠くに目標を見定め、しかも焦らず、足元の問題・課題を地道に解決していくという、奥の深い修行である。

参考資料:「合気道新聞 65号」