【第90回】 足遣い

合気道の上手、下手の判断基準の一つは足遣いにあるだろう。下手なひとは、足が止まり、手だけが動いている。映画や舞台で、下手な役者が悪人達を刀でバタバタと切り倒しているようなものだ。足が居ついて、手だけが働いている。あるいは、足が動いてもバタバタと動いてしまう。バタバタとは、足と体と手の動きがバラバラに動くことであり、相手との間合いと位置関係が悪いところで仕事をすることだ。例えば合気道では、相手の死角に入身、転換で入らないとか、右・左・右・左・・・と規則的な足づかいをしないとか、右のところを左にして左・左・右・・と狂ったり、拍子が乱れたり、足の軌跡が凸凹になることである。

ひとはまず頭で理解して、それを体で試そうとするので、頭と直結している手が動きやすいのだろう。昔から、手の働きは頭にあり、頭の働きは手にでる、といわれている。それに対して、足は胴、本能の働きであるといわれるが、足は頭で考えたようにはなかなか動いてくれないものである。それ故、頭で考えないで、つまり本能的に動くように稽古をしなければならない。形とわざを何度も何度も繰り返し、足に覚えさせるしかないのである。

わざは足でかけるといっても過言ではないだろう。初心者はわざを手でかけるが、手さばきでは相手とぶつかってしまうので、なかなか相手を倒せないのである。わざは相手を崩してからかけるのが鉄則であるから、まず相手を崩すことであるが、手では相手は崩れない。最後にわざを決めるのは手となるが、崩すのは足遣いである。相撲でも足が止まったら力がでないし、大体は負けである。鉄砲突きも、手から出すのではなく、足から出て突かなければならないといわれ、他の武道の突きでも足が大事なのである。

足の使い方は、よほど自分で注意して稽古しなければ会得が難しい。手の使い方と違って、他人に教えてもらうことはでき難いし、足は頭から遠くにあるせいか、頭で考えたことが足には瞬時に反映されないからであろう。

足遣いの稽古は、道場での相対稽古で覚えていくのがいいのだが、相手が強かったり、強く打ってきたりすると負けまいと、踏ん張ってしまうので、道場だけの稽古ではなかなか難しい。

道場以外の稽古として、路上での稽古がよい。ひとが移動するときには足を使うのだから、歩き方を注意すればよい。注意することは、ナンバで歩くことだ。足を出すのではなく、腹がまず進み、進んだ腹の下に足を置くように進む。着地した足(踵)に全体重がかかるようにし、左右これを繰り返しながら歩く。

つまり足使いは、足運びと重心の移動でもある。四方投げで体を反転して投げに入るときは、無闇に足を動かすのではなく、重心の移動を使うのである。足遣いが上手く出来なければ、四方投げだけでなく、入り身投げも、二教も三教も・・・上手くいくわけがない。階段や坂の上り降りも、よい稽古になる。体重を消す「浮き身」ができるようになれば、足遣いも出来てきたといえよう。足に目をつけた稽古をしたいものだ。