【第9回】 魂魄阿吽 〜 肉体と精神の融合

現代は魄の世界、物質文明といえよう。つまり、力のあるものが主導権を把握しているのである。
魄の世界は物質文明であり、競争、争いの世界でもある。
人間の闘争本能は、ジェラシック・コード、即ち爬虫類脳にあるとされる。この爬虫類脳の闘争本能を押さえる役目をしてきたのが、スポーツ、音楽、演劇、笑いそして宗教であるということであるが(「ジェラシック・コード」NHK総合テレビ 2005.6.2.)、まだまだ地球上からの争いは絶えないようである。
争いを地球上からなくすために、合気道は貢献することができる。合気道は、魂が魄の上になって魄を導けという教えである。 

古代オリンピックの時代には、"健全な肉体は、健全な精神に宿る"といわれ、美しい肉体が賛美された。しかし、この考えは時代とともに移り変わり、精神と肉体は分離していって、別物として使われるようになった。そして近年、その弊害が問題になってきている。精神を伴わない肉体が、いろいろな問題を起こしているわけである。
というのも、近年では、何事につけて"成功"するためには、自分を殺さなければならず、また自分が求めるモノは極限まで細分化しなければならなくなっている。人間として生きるうえでの精神面で大切なことを無視してまで、肉体に鞭打って頑張らなければならないのである。

中国でも偉大な武術家は、武術のほかに歌、楽器、書、絵画、詩などを嗜んでいるということである。日本でも、文武両道ということがいわれていた。肉体、武術、武道の精進だけでなく、精神的、文化面も伴わなければならないとされていたのである。開祖植芝翁はすばらしい書を残されているし、宮本武蔵も書画や五輪書を、高橋泥舟、山岡鉄舟、勝海舟などもすばらしい書をのこしている。一流の武道家や剣豪は、武術を磨くために書や絵画などを通して精神性を高め、魄を魂で乗り越えようとしたのであろう。

精神の無い肉体運動は、真善美に欠け、人を説得もしないし、魅了もしない。 肉体と精神の融合が必要であり、これからは精神(魂)が肉体(魄)を主導するような世の中にしていかなければならないだろう。合気道の修行でも、肉体的な鍛錬を進めると共に、それ以上の精神、魂の鍛錬が必要である。