【第892回】 才能と努力と運

これまで物事を成就達成するためには“才能と努力と運“が必要であると書いてきた。しかし才能はほぼ決まっているし、運はこちらの都合できてくれるものではないからどうしようもない。こちらで出来るのは努力ということになる。従って、我々凡人が物事を成就達成したいと思えば努力するしかないことになる。

合気道を何とか会得したいと50年、60年稽古をしてきたがようやく合気の道にのったと自覚出来るようになった。先ずは第一段の成就を達成したと思う。このためには努力は多少したと思うが、運に恵まれていた事を実感する。これまで3度ほど死んでもいいような体験をはじめ、合気道を知り、入門したのも偶然という運であった。大先生にお会いできた事、また、有川先生に魄の稽古からの脱出の必要性と方法を教わる事ができたのも運である。
このような事は以前にも書いた通り、才能と努力と運の重要性を信じていたが、二代目吉祥丸道主の『合気道技法』にはその事も書いてあるので要約抜粋する。
「およそ一事を成就達成するのに最も大切なことは、その人の天稟と努力と、更に時を得ることである。翁の天稟も軍隊に籍を置くまでは、磨かれない宝石であった。軍隊での鍛錬は、入営前の古武術修業と併せて、心、技を練る格好の場所を翁に与えたものであり、また、自己の生来の体力、技能に対する自信をその胸中に植えつける結果ともなった。翁はたまたま政府が募集していた北海道開拓移民に応募し、北見白滝を中心とした土地の開拓に従事したのであるが、ここで、はからずも大東流柔術師範武田惣角氏とめぐり合い、その指南を乞うて免許を得た。この大東流によって技術の“広さ“を体験した。しかしながら、その”深み“に至っては、未だ飽き足らぬものがあったように思われる。その動きは、強さこそ出ているものの、強さを包む柔軟さに欠けているようである。父危篤の電報に北海道を後にする翁は、帰省の車中ではからずも大本教の出口王仁三郎の噂を聞き、予定を変更し、綾部に急行する。そして出口氏と面会して強くその風貌にひかれ、その後一家をあげて綾部に移り、技の修業にいそしんだのである。翁の動きは次第に心術の豊かさの加わった、弾力ある技法に変わる傾向が見えてきたのであった。しかしながら、従来の習癖から抜け出して心技の調和一致を身につけることは、そう簡単に行くものではなく、長年月の苦闘による絶えざる鍛錬が必要であった。」(P.20-24) 

天稟のあった大先生が理想の技を生みだすためには、超人的な努力をしただけでなく、奇跡的な出会いである“運”に恵まれたことであったということである。
天から与えられた才能をフル活用し、出来る限り努力をし、運が向くように修業を続けて行くほかないだろう。