【第89回】 総決算

ひとは恐らく誰でも年を取ってくると、自分の人生はこれでよかったかどうかを考えるのではないか。よかったかどうかの人生にはいろいろあるだろうし、ひとによって判断の基準は違うだろう。しかし、ひとには共通の判断材料があるのではないかと思う。それは「生きがい」が持てたかどうか、ということである。「生きがい」とは、それをやることによって、生きている実感、生まれてきてよかった、と思うものであろう。

ひとは大体定年まで働くが、本当に自分の好きな仕事をやっているひとはあまりいないだろう。今の世の中は、好きなことだけやって生きていくのは難しい。それ故、仕事が生きがいのひとはそれで幸せであるが、そうでないひとは仕事以外に生きがいを見つけなければならないことになる。しかし、忙しい仕事以外に生きがいのあるものを見つけ、時間と労力を割くのは容易ではない。それでもやるひとはいるが、よほどでないと大体はギブアップするか、当座の生きがいで満足することになる。定年になって年金が貰えるようになれば、生きがいになるものを持とうと思えば持てるのに、今度は体力や気力が衰えてくるから持とうとしなくなる。そして結局は好きなこと、やりたいことをやらないまま、最後になって後悔することになる。

ひとは一生の間に、やらなければならないことがあるように思える。子供や若いときに逃げていたこと、例えば「文章を書く」「本を読む」「人前で話す」など、あるいは「運動」が苦手で逃げていた場合も、年を取ってくると、そのひとにとって必要が生じて、やらざるを得なくなる状況がくるものだ。この様な状況がくることは不思議であるが、多くのひとが体験するようである。

今まで苦手だったものが来て、やらざるを得なくなったら、それから逃げてはいけない。それに挑戦し、その苦手なものを自分のものにしなければならない。それによって、子供のころからの苦手が苦手でなくなり、子供のころ得意だったものと表裏一体になってバランスがとれるし、得意なものは更に得意になるのである。ひとにはどうしても得意、不得意があるが、少なくとも不得意は得意といかないまでも、並ぐらいにしないとつまらないだろう。

考えてみると、小学校、中学校で憧れた学友は、成績のいい子でも、スポーツのできる子でもなかった。スポーツもでき、成績もいい子だったのだ。

世の中には、専門家がいる。専門家はあることを深く追求しなければならないので、限られた領域のことしか出来ないが、その専門のことがやがていろいろなことに広く結びついてくる。一つのことに特化するのも素晴らしい。一つのことを究明することは、すべてに通じることになるからだ。しかし、そこまで深く入り込むためには、そのことが本当に好きで、本当にやりたいと思ったものでなければならない。つまり「生きがい」であるはずだ。

高齢者の生きがいは、いままでやりたくてやってきたこと、経験したことすべてを終結する総決算である。そうなれば、いままでやりたくてやってみたもので、無駄はなかったといえるだろう。いままで生きてきて、いろいろやってきたこと、例えば、買ったもの、読んだ本、行った旅行先などのすべてが、この生きがいの総決算に結びつくということができる。

高齢者の生きがいは、過去に蓄えた知恵や知識を集大成することであり、総決算するものである。いまはまだ、不足しているものを補充追加し、自分の生きがいをますます継続・発展することである。