【第889回】 二代目道主の偉業

合気道を稽古したり、武道に関係ある人達は誰もが合気道を創られた植芝盛平先生の偉業を評価しているはずであり、盛平翁の偉業を疑う者はないだろう。盛平翁開祖がおられなければ今の合気道はないわけである。
私は開祖の晩年5年間ほど本部道場で稽古をしていたので、大先生の演武を見たり、道話をお聞きしたり、時には叱られたりして合気道の教えを受けてきた。そして少しでも大先生に近づくべく稽古に励んで来たわけである。(尚、当時は開祖を大先生と呼んでいた。また、二代目吉祥丸道主を若先生と呼んでいた)
大先生が亡くなられてからは直接教えを受けることは出来なくなったので、大先生の教えが載っている『武産合気』『合気神髄』を何度も何度も読み返している。

昔を思い返し、また、『武産合気』『合気神髄』を読んで、この難解な教えが多少解るようになると、二代目吉祥丸道主の偉業に気づくようになったのである。これまで二代目吉祥丸道主は先代の大先生に覆われて目立たなかったが、合気道の修業が進むにつれてその偉業がじわじわと表面化してくるのである。偉業という表現はオーバーと思うかもしれないが、オーバーではない。何故ならば、今日このように合気道が普及発展しているのは、二代目吉祥丸道主のご活躍と努力があったからだと確信するからである。大先生だけでは、大先生だけの合気道になっていたはずである。それは過って隆盛だった武道や武術が消滅したり、衰退しているのを見ればわかるだろう。つまり、二代目吉祥丸道主のような方がおられ、働かれていれば、それらの武道や武術は今も合気道のように普及発展した可能性があったということである。残念である。逆に云えば、合気道はラッキーだったということである。

それでは二代目吉祥丸道主の偉業とはどんなことかピックアップしてみる。

最近、体のつかい方で迷っていた時、『合気道技法』を見たらその解答が載っており、その問題が解決した。『合気道技法』は読んでいるが、真剣に読んでいなかったわけである。これから再度読むことにする。恐らく、大事な教えがあると思うので、気がつき次第、それを論文に記すことにする。
いずれにしても、二代目吉祥丸道主の偉業の評価は低すぎたので、反省すべきだろう。そうすれば多くの、そして大事な事を学べると確信している。