【第887回】 魂を自覚する

合気道は魂の学びである。魂がよくわからないが身につけなければならないと試行錯誤しながら挑戦している。
魂がよく分からないので四苦八苦しているわけだが、分からないモノ(魂)をどうすればわかり、身に付けられるか?を、これまでやってきた事とこれからやるべき事を整理してみた。ここでは魂であるが、魂以外の難題にも適用されると考える。

その基本は大先生の教えに従う事、大先生の教えを守る事、その教えに叛かない事としている。簡単、具体的にまとめれば:

  1. 大先生の教えを、理解するように努める:『武産合気』『合気神髄』を繰り返して読み、頭で理解し、技で試みる
  2. やるべきことをやる事 例えば、身体や内臓を鍛える。息づかいを身につける。基本の形を覚える等
  3. やるべき事には順序があるので、順序よくひとつひとつ身につけて行く。例えば、手の十字⇒足の十字⇒腰腹の十字等。この方向、目標は宇宙との一体化である。この目標に一歩一歩近づくのである。派手な事や程遠くのモノに惑わされず、焦らずに身近で身の丈に合ったモノ、やるべき事をやっていかなければならない
  4. 聖典を何度も繰り返して読んでいくと、自分のレベルにあったモノはわかってくるし、技に活用できるようになる。この相乗効果が出て来ると、大先生の教えが段々とわかるようになるし、技も変わってくる。これまで分からなかった教えや重要さに気がつかず素通りしていた教えに気がつくようになる。
  5. 問題意識を持って聖典を読み、技を練っていると、その問題を解決してくれる教えに出会い、これはこういう意味か、これはこういう事なのかが突然閃くのである。それが今回の『魂を自覚する』である。
合気神髄を繰り返し読んでいるが、次の文章が目にとまり、魂はこれかと閃いたのである。
「ちょうど伊予の二名島の国造りの折に、吐く息は空水となって、空に昇っていって満天に拡がっていきます。その三角の気が昇り、その気の中に武道でいう自分の魂の気が存在するのであります。すなわち魂が、その中に入っているのです。(合気神髄P22)」
この文は布斗麻邇御霊の伊予の二名島の御霊の箇所である。その形はであり、伊邪那岐神の御霊と伊邪那美神の御霊から生まれる。○は吐く息で水である。━は息を吐きながら腹中の気を引き、|は息を吐きながら腹中の気を出すことであると考える。この腹中の|の気は出そうとしなくとも自然と出て来るモノである。まさしく、「空に昇っていって満天に拡がっていく」感じである。自然に出るということは、自分の意識に依らない無意識で出ているという事である。しかし、何かがその動き、営みをしているはずである。つまり、それが魂であろうと考えるわけである。

これまで魂についていろいろ研究してきた。それで何故、これが魂であるというのかであるが、その前にこれまでの魂感をまとめてみる。
横山大観 「心神」
まず、魂とは何かである。はじめに考えたのは、魂とは真の心であるということである。自分の心で物事をやったり、判断するが、その心をこれはいいとか駄目だとか評価したり、注意するモノがある。これが真の心の魂である。
次に、真の心の魂は何かということになる。これを宇宙の心、神の心と云う事にした。これは古では「魂」を「心神」と称していた事でも納得できる。
横山大観は日本の魂を代表する富士山を「心神」と称して描いている(写真)

この文と布斗麻邇御霊に則った体づかいと技づかいにより、気から魂、魂の気、そして魂がどのようなモノか、どうすれば生まれるのかの足がかりができたようである。
また、合気道は魂の学びである、そしてフトマニ古事記を研究しなければならないとの大先生の教えの大事さを改めて確認した次第である。