【第886回】 魂のひれぶり

「魂のひれぶり」はこれまで何度も挑戦し、書いてきたが今回もまた挑戦する。というのは、最近、これまでと異なる力で技がつかえるようになったので、これこそが魂のひれぶりではないかと思うからである。指一本で相手を制し、導くことができるのである。例えば、片手取り呼吸法でこちらの手先、指が相手の手に触れただけで、相手とくっついてしまうし、相手を動かし、倒してしまうのである。これまでの肉体的な力、息による力、気の力とは違う力なのである。

これまでこの力は気の力、気力なのだろうと思っていたのだが、どうもこの力こそ魂であるようなのである。何故ならば、大先生が次のように教えておられるのである。
「表に魂が現われ、魄は裏になる。今迄は魄が表に現われていたが、内的神の働きが体を造化器官として、その上にみそぎを行うのです。これが三千世界一度に開く梅の花ということです。これを合気では魂のひれぶりといい、又法華経の念彼観音力です。」(武産合気P88) 

ただ単に相手に触れただけでは相手と結んだり、相手を導く力(エネルギー)は生まれない。大先生の教えにあるように、魄が裏になり、魂が表にならなければならない。魄とは肉体であり、体の重さであり、魂は肉体と対照的なモノ、霊であり、精神、心と考える。これまでは魂として気をつかっていたが、気は魂とは違う。大先生が気力は魄であるといわれているように霊の体であり、霊の霊の魂とは異質なのである。

確かに、魄が裏になり、魂が表にならなければ技にならない。そのために片手取り呼吸法では魂魄を次のようにつかっている。尚、息のつかい方も重要であるがここでは省略する。

これが魂が表になることであり、魄が下になることである。
技をつかう際は、常に魄が下で魂が上で働かなければならない。手を先につかってしまえば魄が表になり、魂は後から続くので下になってしまう。これが肉体的な魄の体づかい、技づかいになり、時として争いになるわけである。
しかしこれは結構難しい。息に合わせて、手先を丸く円の動きでつかわなければならないからである。稽古で身につけるほかない。

魄が裏になり、魂が表になるのが魂のひれぶりなら、これを感じているようだ。魄を裏、魂を表で技をつかっていると自分の体の周りに何かが振れ動いているようである。天女や仁王様のひれぶりのようである。(写真)
この魂のひれぶりのためにこれまで技を一つ一つ積み重ねてきた。
例えば、○神を表に出す稽古 ○体の表をつかう稽古 ○布斗麻邇御霊の気の運化と水火の息づかい ○イクムスビの体づかいと息づかい ○手先を丸く円を描く ○相手を常に己の腹の下におく等々、言うなれば、このために稽古をしてきたと言ってもいいだろう。宇宙の法則を一つ一つ見つけ、技に取り入れてきたわけだが、ようやくこれらの点が繋がり、線となり面となり球となってきたわけである。
勿論、魂のひれぶりもまだ不完全であるから、これからますます精進し、錬磨していかなければならない。