【第882回】 陰の体づかいから陽へ

高齢者になると若い頃のようには体が動かなくなる。高齢になると若い時のように動かなくなるので、若い時のように動くようにすればいいかというとそうではない。若い頃と同じことをやっても効果は上がらないはずである。また、合気道の稽古を続けているといっても、不思議にも体は動かなくなってくるはずである。足腰が弱くなり、酷い場合は、膝や腰が痛くなってくる。合気道をしているからと安心はできない。

何故、年を取ると体が動きづらくなったり、体を痛めたりするのか?
これまでの自信の体験と研究及びまわりの高齢者や若者を観察してきて見えてきた事を記す。勿論、それは合気道の技づかいや体づかいからわかってきたことである。

まず、高齢者になれば体が動かなるのは年のせいであり、自然であり、不思議だとは思っていなかったし、他人事であったが、合気道をやっているのに、自身も高齢になるとやはり体が動かなくなってしまったことに疑問をもったのである。自分自身は体には自信がったし、ましてや合気道を稽古しているので、年を取っても体は若者に負けまいと思っていた。が、どっこい、70歳辺りから体がそれまでのように動かなくなり、街を歩いても、家の中でもよくつまずくようになったのである。そこで、足腰が弱ったためだろうと、稽古で体を更に鍛えたり、ジョギングしたり、駅やデパートの階段を上り下りしたりしたのだが、つまずきはほとんど改善されなかったのである。改善の方法が正しくなかったということになる。

街を歩く高齢者と若者を見比べて見ると大きな違いがある。一般的に、高齢者は前かがみぎみ、若者は胸を張り気味に歩いている。そして高齢者は爪先から地を踏み、若者は踵から地につけて歩いている。これを合気道的に表現すれば、高齢者は体の裏の陰の力で歩き、若者は体の表の陽の力で歩いているといえる。
陰の力で歩く高齢者は陰気な歩きとなるだけでなく、体の力が体の前面の陰に集まり、歩く時は膝に負担がかかり、膝を痛めるようになるわけである。
合気道の技をつかう場合も、体の裏の陰の力でやれば、相手を押したり、弾いたり、引っ張る力は出るが、相手を納得させることはできない。魄の力であるからである。魄はものの力、物質科学の力、競争する力であるからである。勿論、この魄の力は必要であるし、養成しなければならない。しかし、これは若い内に養うモノで、高齢になって、若者のように養う力ではない。

そして、この体の裏の陰の力を体の表の陽の力に変えなければならないのが高齢者なのである。そうしないと、上手く歩けないし、合気道の技は産まれないし、効かないし、そして体を痛めることにもなるからである。
体の陰の力と陽の力の大きな違いは、縮めると拡げる、引くと出す、収縮と膨張等と考える。

体の裏の陰で体をつかえば陰の力、魄力になるが、心・精神もその体づかいに関係があるようだ。
体の裏の前頭部でものを見れば、魄の物質科学を見ることになる。つまり、形や外観しか見えない事になる。若者が外観を重視したり、惑わされるのはこのためだろう。しかし、年を取って来て外観よりもそのモノの心、目には見えないモノに感動するようになった。道端の可憐な草木、庭に集まる小鳥や昆虫、幼い子供、月や太陽、川や海などなど彼らの気持ちが分かったり、想像すると感動し、時として涙がでるのである。
目に見えないモノを見るためには、体の表の陽の目で見なければならないと思う。体の表である後頭部から見るようにするのである。にこやかなやさしい顔になる。因みに体の裏の陰の目で見ると、凝視したり、睨みつけたり、しかめっ面になる。体と心はつながっているということにもなる。

本題に戻る。高齢者になって若い頃のように体を動かすためにはどうすればいいのかである。高齢者になっても健康に暮らし、稽古を続けられるためにはどうすればいいかということである。

このようなことで、若者のように、否、若者の時以上に肉体と精神が働いてくれるだろうと期待しているところである。