【第882回】 相手の前足に重心が掛かっていると技にならない

これまでは宇宙の営みと法則に則して息と体と技をつかえばいい稽古をしてきた。お陰で大分精進することができた事は確かである。
しかし、この稽古にも限界があることが分かってきた。それを感じたのは正面打ち一教である。相手が思い切り打ち下ろしてくる手を受けきれず、動きが止まってしまうのである。腹と結んだ腰腹からの力で手、折れ曲がらない手、足と反対側の手を布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊でつかっても上手くいかないのである。

これまでは技を掛ける際、相手を倒そうとか、押さえようなどと相手の事はほとんど考えていなかった。こちらの息と体と技づいかいの結果として相手が自ら倒れたり、決まるからである。
しかし、これではそれが上手くいかないので、どうすれば上手く技が効くようになるのかを考えてみた。その答えが、これまでの自分だけではなく、相手にもこれまでの自分がやってきた動き、体づかいをさせなければならないだろうということである。自分だけ動くのではなく、相手も動くようにするわけである。このためには自分と相手は一体化しなければならない。

ここから具体的に分かった事は、正面打ち一教の場合、相手の打ち下ろす手を制し、捌くためには、相手の後ろ足に重心が移動するようにすることである。つまり、相手の前足に重心が掛かっていると、相手の全体重が手と前足に掛かっているわけだから、こちらの手では持ち上がらないし、捌けないのである。
攻撃してくる相手の重心が前足に掛かるのを後ろ足に掛かるようにこちらの手と体をつかわなければならない。正面打ち一教だけでなく、二教裏、片手取り呼吸法、片手取り四方投げでも、更に坐技呼吸法でも上手く技がつかえない元凶はここにもあるようだ。

実は、“相手の前足に重心が掛かっていると技にならない”、“相手の後ろ足に重心が掛かるように手と体をつかわなければならない事”は以前、有川定輝先生に、ある講習会で教わっていたのである(写真)。これまでその意味が分からず、技につかうことが出来なかったということである。

いくらいい教えでも、そのレベルに達しなければ宝の持ち腐れである。先生の教えを思い出し、その教えを実践しなければならないと思うようになった事は多少レベルが上がったのだろう。

“相手の前足に重心が掛かっていると技にならない“という法則が分かったわけであるが、これを実践して身につけて行かなければならない。自分自身の身につけるわけであるが、出来るだけ相対稽古の相手や後進達にも身につけて貰うようにしたいものである。このレベルに来れば相当稽古していることになるはずなので、周りは後輩や後進となるはずである。彼らのレベルアップもお手伝いしなければならないのである。そのためには、技を掛け合って頑張ってしまっては相手の稽古にならない。これは誰もが承知している事であろう。大事な事はここでの頑張るという事がどういう事かということである。頑張るというのは、前足に重心を掛けているということである。前足に重心があれば相手は動けなくなり、技も体のつかい方も学べず、後は腕力で腕を振り回すことになる。合気道とは別物になってしまう。彼らを導き、レベルアップさせたいなら、前足に重心を掛けて相手が上手く捌けないようなら、己の前足に掛かっている重心を後ろ足に移動し、相手を導いてやればいい。これも愛の合気道であろう。