【第88回】 高齢者の役割

ひとは外見上、ひとりひとり全部違う。顔つき、体型、考え方、価値観、等々、全く同じひとはいない。生まれた場所、季節、時間や育った家庭、環境が違うのだから、当然であろう。生まれや、子供のころの環境は、自分ではどうしようもないため、変えることも改善することも出来ず、どうしようもないだろう。だが、成人したら、どんな環境や境遇にあっても、その気があれば、案外思ったようにできるものだ。それ故、自分の本当にやりたいことを見つけ、それをやるように挑戦すべきであろう。ひとはみんな違うのに、同じことをやるというのはおかしいのではないだろうか。自分のやりたいことは他人とは違うはずだし、同じことでもやり方が違うはずだ。

このようなことは、親やその親にあたる高齢者たちが、子供たちに伝えなければならないだろう。それに、自分たちがやりたくともやらなかったことで後悔していることや、自分たちが失敗したこと等も、子供や若い世代に繰り返させないように伝えなければならない。

戦後半世紀の日本は貧しく、食べることにも事欠いた時代だったので、食べるのに苦労しないように働かなければならなかった。有名校を卒業し、大会社に入ろうと汲々として、最短距離を突っ走ってきた。その結果、仕事しか知らない、損得や名誉しか興味のない、自分本位の人間が増えてしまった。

豊かになった今の日本で、仕事以外のことに興味をもったり、人と話をしたり、仕事に関係のない人と自分たちの趣味や国、世界、人類などいろいろなテーマで討論するようなひとは非常に少ない。政治家にしても、外国の政治家と一対一で丁々発止と議論し合ったり、外国のパーティーなどで場を盛り上げる興味ある話やジョークをするようなひとはいないようである。

これからは、少子高齢化といわれる時代がくる。若者が減るわけだが、今の日本の政治、経済、文化を維持、発展させるには、若者ひとりひとりの人としての質的向上を図るしかないだろう。若者に、学ぶ喜び、働く意欲、生きる楽しさ、長生きしたいという気持ちを持ってもらわなければならない。多くの失敗や成功の人生の経験者である高齢者は、若者に自分の成功例や失敗例、何故失敗したのか、どうすればよかったのかなどを継承すべきであろう。それをしなければ、折角の失敗も成功の経験も無駄に消え失せることになり、そこから後進の若者が何も学べない。勿論若者が失敗を繰り返すことにことになるかもしれない。しかし、最大の失敗は「やりたいことをやらなかった」ことである。それを教えなければならない。

若者を労働力として見るだけでは、若者は反発するだろう。これからの若者は人生を楽しみ、満喫し、生きていることを実感するために働きたいと考えているに違いない。企業も、成績だけはよいが、学校を出ただけで何も知らない学生よりも、少しでも多く世界を知り、日本を知り、自分としての考えを持った「大人」を採用した方が、会社のためになることに気づくだろう。

ひとは誰でも、自分が生きているという実感を持ちたいと思うはずだ。若者が生きる実感を持てるように、働くことが楽しく、生きることが素晴らしいから、出来るだけ長生きしたいと思うように、若者を導きたいものである。敷かれたレールを行くのではなく、自分のほんとうにやりたい道に進むようなオンリーワンの個性豊かな若者が増えれば、日本はもっと素晴らしい国になるはずだ。

一生は一度きりだ。やらなかったことは、必ず後悔する。やって失敗しても、やらないで後悔することに比べたら、月とスッポンの違いがある。何でも一生懸命やれば何時かは成功する。今の世で、餓死することはない。高齢者よ、若者たちに勇気と希望と知恵を与えようではないか。