【第876回】 体のどこでも手としてつかう

合気道は技を練って精進しているが、技は手で掛けると大先生は言われている。はじめは、技を手で掛けるのは当然であるし、何の疑問も持たなかった。しかし、その内、大先生は何でわざわざ技は手で掛けると強調されたのかと考えてみた。例えば、足で技を掛けてはいけないということを言われているのかとも思った。過って、大先生は足をつかうのは無礼であるからと、足で技をかけることを大変嫌われたし、決して足はつかわれなかった。

しかし、技は手で掛けるの意味はもう少し深いことがわかってくるのである。確かに、合気道のすべての技は手で掛けているのである。また、手で掛けないと技にならないのである。
はじめの内は、掴ませたり、打たせた手をこちらの手で捌く稽古をするので、技は手で掛けていることになる。片手取り、両手取り、諸手取りや正面打ち、横面打ちでそれがわかりやすい。
勿論、技を手で掛けるためには、腰腹と足をつかわなければならないが、最後に技を決めるのは手になるので、手で掛けると実感するのだろう。つまり、技を掛けるためには、腰腹⇒足⇒手と働くからである。

さて、合気道の技には、手だけを掴んだり打ったりするだけではない。胸を掴んだり、肩を掴むなど手(手首)以外の攻撃に対する技もある。初心者は、相手が掴んでいる胸にある手をむしり取って、それまでの慣れ親しんだ“手で技をかける”ものである。手で技を掛けているわけだから、文句はないだろうと思っているようである。
勿論、私自身も長い間、そうやってきたが、最近、このやり方では上手くいかないことがわかったこともあり、胸取りや肩取りをどう処理すればいいのか考えてみた。
まずは、胸取りや肩取りなどの手以外の箇所を掴まれる技が何故あるのか、どのような意味があるのかを知る事である。そして、それが、技はどんな技も手で掛けるという決まりとどのような関係、結びつきがあるかを知る事である。

結論は、①相手と接した箇所を手としてつかう事 ②胸であれ、肩であれ、掴まれた箇所、接した箇所で技を掛ける際は、手を掴まれたり、手で打たれたりした際の手の動きと同じになる事である。手が生きているということである。
要は、どのような技であろうが、手が働いているということである。
例えば、正面打ちでも片手取り呼吸法でも“うぶすの社の構え”から手(足、腰腹)を陰陽につかうが、胸取りの場合も、“うぶすの社の構え”から持たれた箇所の胸を手も掴まれているようにつかうのである。慣れてくれば、手を触れずに相手を抑えたり弾き飛ばすことができるようになる。その好例が、大先生の直弟子でもあった塩田剛三養神館館長(写真)である。

更にわかってきた事は、胸取りや肩取りは、只の胸取りや肩取りではなく、それ以上の深い意味があるという事である。つまり、手以外の体のどこの部位・部分でも、相手が接したどの箇所も手としてつかえるようにしなさいという意味があると考えるのである。つまり、胸取りや肩取りはその代表箇所と云うことなのである。頭であろうが、背中であろうが、手としてつかうということである。
合気道の基本技はそれほど多くはないが、触れられる体の部分は無限にあるわけだから、合気道の技は無限にあるとも言えるだろう。手が無限にあるという事である。故に、稽古・修業は無限に続くことになる。