【第875回】 健康長寿

今回のテーマは健康長寿である。合気道家にとって、健康長寿には二種類ある。日常生活での健康長寿と合気道家としての健康長寿である。この二つの健康長寿の関係は、日常生活の健康長寿が基盤で、その上に合気道家としての健康長寿があるとなる。つまり、日常生活が健康で過ごせなくなれば、合気道を続ける事は出来なくなり、合気道寿命も終わりとなる。逆に言えば、合気道が健康長寿で続いていれば、日常生活も健康長寿が続いていることになるわけである。

まず、日常生活での健康長寿をまとめてみたいと思う。これまで考えてきたこと、やってきた事、信じてきた事、学んだ事などである。
特に参考になった、というより、自分の考えを後押ししてくれた本に出合った。『70歳が老化の分かれ道』である。この本を基に書き出すことにする。

これを簡単にいうと、日常生活での健康長寿であるためには、70代の生き方が大事であり、80歳以降のための習慣を身につけなければならない。働く、運動する、頭をつかう、肉を食べる・おいしいモノを食べるなどの食習慣、趣味を持つ等を身につける。更に、医学を100%信用しないことである。医学はまだ不完全なのである。その証拠に、医者は一般人よりも寿命は短いという。また、医者は専門分野だけしか知らず、長寿のためのすべての分野を知っているわけではないのである。
また、年を取ると頭がボケてくるが、それは自然で誰もが辿る道なので気にしない事であるという。これでどうどうとボケる事が出来るわけである。
ここで非常に興味があるのは、最後の「歳をとってやさしくなることが、幸せへの近道」である。やさしくなれば長生きできるという事である。これは合気道の健康長寿の条件と結果であると思うからである。

次に、合気道家としての健康長寿である。このためにやるべき事は、これまでの論文に書いてきた事である。つまり、合気道が精進することが健康ということである。その幾つかを書き出してみると、 尚、上述の日常生活でのところで、「やさしくなれば長生きできる」あったが、合気道でも同じであると思う。年を重ねてやさしい顔つきになれば、合気道の健康長寿を保てるようだし、険しい顔つきになってくるとその寿命は終わりに近づいているようだ。顔つきが険しくなれば、行動や言動も険しくなるわけである。
魄の稽古に止まっていると険しい顔になり、心、精神、魂の稽古に入って行くと顔つきはやさしくなるようである。


参考文献『70歳が老化の分かれ道』(和田秀樹著 思想社)