【第874回】 神との黙約

長年稽古をし、そして年を重ねてきたせいか、モノの見方や考え方が若い頃とは大分違ってきた。というより、正反対になったといえよう。その最大のモノが「神」である。若い頃は科学的ではないと信じもしないし、興味もなかったが、年を取った今では、非常に興味があるし、信じなければならないと思うようになった。

これまで80数年生きてきたが、生きて来られたのは或る意味で奇跡であった。三度ほど死んでもおかしくない状況があったが、奇跡的に助かったのである。今思えば、何かが助けてくれたとしか思えない。そして何かのために助けてくれたのだろうと思っている。これは以前に何回か書いたので省略する。
また、命に関係ないまでも、生きてきた重要な要所々々でも何かに助けられたり、導かれてきた。その典型的なのが合気道との出会いである。
当時は、合気道はまだ世間では知られておらず、私も全然知らなかった。大学一年の時、友人を訪ねていくと、彼は彼の学生仲間と麻雀をやっていたので、しばらく見ていると彼らの話の中に合気道という武道があるという話が出てきた。それを聞いた時、何か胸騒ぎがし、その合気道はどこで見られるか聞いてみた。すると新宿体育館で稽古をやっているようなので、そこからそれほど遠くない新宿体育館にすぐ行ってみた。有難いことに道着や袴をつけた10数人の学生が稽古をしていたので、すぐにそれが合気道だと分かった。よくわからないが面白そうなので、そのグループのリーダーのところに行き、合気道とは何か、合気道を創られたのが植芝盛平である等の説明を聞いていると、その内、この近くに合気道の本部道場があり、合気道の創始者である植芝先生もおられるという。そこで住所を教えて貰い本部道場に辿り着いたわけである。
何かに導かれているとしか思えない。だが、この導かれの続きがある。
本部道場を見つけて道場の玄関越しに稽古を見ていると、よく分からないが面白そうなので入門手続きを入門料500円と月謝500円を払った。道場の稽古がまだ続いていたので、玄関のガラス戸から覗いていると、道場で教えている先生(後で分かるが、多田宏先生)が近づいて来られ、見ていた私に、稽古をするのか?と聞かれたので、今、入門しましたと云うと、先生は、これから終末運動をやるからよかったら一緒にやらないかといわれたので、折角だからとやることにして道場に上がった。道着などないから、私服である。はじめは、転換、入身転換、一教運動であったが、その内、受け身になった。季節は真夏であり、一応よそいきである。汗がどんどん出て来る。立って動いている分には何とかなるが、受け身となるとシャツもズボンも汗だらけになる。一瞬、どうするか迷ったっが、ここまできたらやるしかないだろうと決心して受け身にも挑戦したのである。帰る時は一帳羅のシャツもズボンも汗でびしゃびしゃになったことは云うまでもない。これが合気道との出会いであり、これが今に続いているわけである。

何かに助けられた例である。ドイツのミュンヘンで大学入学のためのドイツ語試験を受けた時は、助けられたと実感した。ドイツ語も出来ずにドイツに行って半年での試験である。勿論、語学学校では精一杯勉強した。大学に入らなければ滞在許可書が貰えないのでどうしても合格しなければならないという切羽ずまった状態だった。ドイツでは試験は二度までしか受けられないし、それ以前に金が底をついてしまう。語学学校のクラス20名の内、受かったのは4−5名だったが、私もその内の一人になったのである。何かに助けられたと思ったのである。更に、後で聞くと、その翌年からの試験には筆記試験とデクテーションに加え、会話があるという。もし、今回、会話の試験があったら絶対に受かっていなかったし、翌年の試験では絶対に受からなかっただろうと、冷や汗をかいたことを覚えている。これが更に、何かの助けがあったのを確信させてくれたのである。
仕事の面でも何かに導かれ、助けられていたようだ。ミュンヘンでの就職、日本への転勤、再就職などは自分の意志を飛び超えた、出来過ぎものであった。

合気道の稽古は続けていた。ドイツ滞在中も続けていたし、帰国しても続け、今に至っている。80数歳の内、60年近くと、人生の大半は合気道づけである。現在は、仕事もやめ生活は合気道主体であるので、時間も精力も十分掛ける事ができるようになった。合気道がよくわかってきたし、更なる合気道の素晴らしさがわかってきた。これまで難解だった大先生の教えも氷解してきたところである。

これまで何ものかが助けてくれたと自覚してきたわけだが、それでは何のために助けてくれたのかがわかってきたのである。
若い頃は信じなかったし、拒否していたものを、今では信じるようになったわけである。その根底には、科学に対する見方が変わった事と大先生の教えがわかってきた事があるだろう。科学は万能ではなく、解らないモノは解らないのである。例えば、神は見えないから、科学的には存在しないというが、神が存在しないという事を科学的に証明・説明することはできないのである。つまり、あるモノは科学化できるが、ないモノの科学化はできないのである。
故に、例えば、この神は存在しないと思っても、存在すると思っても間違いではなく、自分の思うよう、信じるようにすればいいことになる。

本題にもどり、何ものかが助けてくれたであるが、合気道的に云えば、この何ものは「神」ということになる。別に表現すれば、助けてくれたモノが「神」ということである。上記に記した偶然、奇跡などと思える助けは「神」だったということになる。
それでは、何故、「神」が助けてくれたのかいうことになる。その答えは、次の大先生の教えにあった。「この合気だけは小さい神さまじゃない。世界中の天津、国津の八百万の神々に、ことごとくご協力いただいております。」
つまり、合気道を稽古しているお陰で八百万の神々に、ことごとくご協力いただいたということである。八百万の神々は技の上達や合気道精進だけでなく、そのために必要な間接的な助け、ご協力をして頂いていたということなのである。
しかし、合気道を始める以前から命を助けられたりの御協力を頂いているのは、これでは説明がつかない。
そこでそれを次のように考えている。「神」は私が合気道をし、し続ける事を神は初めから知っていたと考えればいい。合気道に入門し、稽古を続けることを知っており、そして、また、合気道のため、更に人類の為に何か貢献(少しでも役立つ事)することを願っていたのだと思う。このために「神」はこれまでいろいろと協力してくれたわけである。

是を他人には信じられないだろうが、己個人は実感しているのである。私が合気道を修業している限り、健康、経済、衣食住等々すべて順調で、何も心配がない。これは神との黙約であるように思っている。もし、合気道の修業を止めれば、黙約が破棄され、これらの順調は壊れるはずである。

「神」が登場するなど、合気道に対する考え方が大分以前と違ってきたが、よく考えてみると自然、当然のように思える。何故ならば、修業が目に見える顕界から目に見えない幽界、そして次の神界に入らなければならないからである。神界での修業は神の協力が必須のはずである。大先生は、「顕幽神三界も、また我々の稽古の腹中に胎蔵しております。自分の心の立て直しができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万の神、こぞってきたって協力するはずになっております。」と言われているのである。