【第874回】 体と用

合気道の技を練って稽古をしてくると、合気道の技の深さ、神秘さ、摩訶不思議を感じるようになる。人為的な努力だけでは決して身につけることはできないと思うのである。天地の助け、宇宙の助けなしには身につかないのである。天地の助けや宇宙の助けを受けるにはどうすればいいかというと、天地と宇宙を尊び、仲よくなる事である。そして天地・宇宙と一体となれば、深い、神秘的で摩訶不思議な合気道の技が生まれると考えている。そのためには引き続き更に大先生の教えに戻って稽古をしなければならないと思う。

大先生の教えに、「火水というのはたいであり、イキとはようであります。」(武産合気 P.108)に出会った。また、最近読んだ『言霊秘書 山口志道霊学全集』には、「天地の間に眼に見えさる火(ヒ)水(ミツ)あり。是を火(カ)水(ミ)とも云う。神と唱ふるはにして水火(イキ)と唱るはなり。故に陰陽と陰陽とを興(クミ)て万物を産むなり。」「人間(ヒト)の胎内に火(ヒ)水(ミツ)あり。是を霊水(タマ)火(シヒ)という。気(イキ)ともいう。魂(タマシイ)と唱ふるはにして息と唱るはなり。故に、息と息と興(クミ)て言(モノイヒ)、気と気と興(クミ)て人を産むなり。」とある。
つまり、体と用の教えである。この重要な教えを技に取り入れていかなければならないということである。

上記の教えからは、

とあり、体と用の関係がわかる。

次に、体と用を辞書で調べてみると次のようになる。
体:もとになるもの。中心になるもの。
用:しなければならないこと。(物事の本体を「体」と云うのに対して)
  作用。現象
因みに、この体と用からの体用という言葉があるが、その意味は、
  1. ものごとの本体と作用
  2. ものごとの原理と応用
  3. 本体とその作用
である。しかし、体用はあるが、用体と云う言葉はないようである。

考えてみれば、これまで体と用に関しては技と身体をつかう上で意識してつかってきたつもりである。つまり、動かしていけないところを支点として動かさず、その対照にあるところを動かすのである。
例えば、腰と腹の関係で、腰が体とし、支点として動かさずに、その対照となる腹に働いてもらう事である。これを体の腰に働かせると、技が効かないだけでなく、腰を壊すことになるのである。
また、手の関節の手首、肘、肩は体となり、それに対応する手首から先、肘から先、肩から先が用になる。これを初心者は体も用も一緒くたにしてつかうので技にならないわけである。これを有川定輝先生は“バラバラ事件”と言われて、注意されておられたのを思い出す。先生はその“バラバラ事件”になりやすい手の節々が体と用に働くための柔軟運動を教えて下さったので、それを毎日の禊ぎで続けている。

これまでは体と用は肉体的なつかい方であったわけだが、今度はイキや神や魂の精神的、幽界、神界の次元でのものになるわけである。体と用だけではなく、求めている魂にも近づけるようである。