【第870回】 フトマニ古事記の水火、息、気、神、魂

合気道を50,60年前からやっているが、やればやるほど深みに入っていくようで、到達点が見えない。合気道を容易に始めたが、どんどん難しくなってくるのである。例えば、大先生は、合気道はフトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりませんと教えておられるわけだが、フトマニ古事記で技をつかっている稽古人は多くないと見ている。その理由は、フトマニ古事記が難解であり、また、それを技につかうのは容易でないことである。更に、フトマニ古事記に興味を持ったり、これで技をつかわなければならないと思う次元に入らなければならないことである。要は、魄の稽古の次元から、息、気、魂の目に見えない次元に入らなければならないということである。この次元をかえることは並大抵ではないと思う。
しかし、真の合気道を身に着けたいならば、フトマニ古事記で技を生み出し、つかうようにしなければならないわけだから、フトマニ古事記に挑戦しなければならない。

これまでフトマニ古事記から、布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊で技をつかうようにしてきたわけだが、技はこれまでと質的、量的に大きく違ってきたから、フトマニ古事記を研究することは必須であると確信している。
しかし、フトマニ古事記は、この他、合気道にとって難解だが重要な事を教えてくれているのである。例えば、水火、息、気、神、魂などである。これまで大先生の教え等にも頻繁に出て来るのだが、よく分かっていなかったことである。これらがある程度わからなければ合気道の精進はないと思うが、これがフトマニ古事記で分かるようなのである。

大先生は、「合気道は、真の日本武道であります。それは地球修理固成に習い布斗麻邇の御霊から割れ別れし水、火をいただいて、研修のすえ出生するを、人類のうちに現わしていく事であります。」(合気神髄P.153)と言われているわけだが、ここにも、神、水、火、魂、気があるが、これがどのような意味なのかは、これだけでは分からないか、分かり難いだろう。
そこでこれをフトマニ古事記で解釈してみたいと思う。尚、フトマニとは布斗麻邇御霊、古事記は日本最古の書物であり、フトマニ古事記は布斗麻邇御霊を古事記の話に結び付けたものである。布斗麻邇御霊を古事記で解釈したのは、江戸時代後期の国学者山口志道であるが、それを大本教教祖出口王仁三郎が『大本言霊学』に著した。合気道開祖植芝盛平翁は大本教の『大本言霊学』からフトマニ古事記を学ばれたはずである。故に、この『大本言霊学』とその基となる『言霊秘書』(山口志道)を参考とすることにする。天之御中主神と高皇産霊神・神皇産霊神両神の箇所でやってみる。

「天之御中主神、其ココは天地の初虚空の正中にシルシイキと云御名にて即ちアメの正中のシルシをなして其御形○・是の如し。則ち天之御中主の御霊なり。・・・
一心ポチのは即ち天之御中主神イマスの宮なり故に心動てはの形をなし動けばの形を為す。動かすのは吾にして動くはポチなり。善悪正邪の別は一心のポチよりオコる。所謂一元のなり。此の御霊の御像は即ち○・(日)○・(月)﹅(星)なり。萬物この御霊より発するなり。」(大本言霊学)
<ここから、気は気でありイキ(息)であること、━が火であり|が水であるがわかる。>

「高皇産霊神・神皇産霊神両神合体の御霊は両神合体の御形なり。タカミムスビのという御名のタはタマなり。カミとはカラミのラ言の省にて則ち玉搦と云うことなり。ムスビとは結ぶことにて父の母のミゾに搦結びの火水カミという義なり。カミムスヒの神と云う御名のカミはカラミのラ言の省にて搦結の神と云うことにてそのココに搦結べばを搦結ぶと云う御名にて両神の水火搦搦父母の水火イキ搦搦御伝なり。其搦時の御靈の動くを宇麻志阿志訶備比古地の火水カミ・イキ(カミ・イキ)と云う。(大本言霊学)
<ここから、カミ(神)とはカラミのラ言の省いた玉搦であり、カミは火水であり、﹅は火であり○は水であり、火水はカミ(神)であり、イキ(息)であることがわかる。>

更に、『言霊秘書』(山口志道)からは、

このようにフトマニ古事記から、水火、息、気、神、魂等がどのようなもので、どのような働きをするのかが大分わかってくるようだ。大先生がフトマニ古事記を研究しなければならないと教えておられるのがよく分かる。