【第87回】 定年ボケするな

仕事をしている間は、定年になったらあれもしよう、これもしようと定年を楽しみにしているが、実際に定年になると、ほとんど何もしないようになってしまうようだ。ここでなにもしないというのは、社会との関わりという意味である。食事したり、散歩したり、カメラを担いで街に出たり、仲間と旅行や山歩きをするなどは、社会とのかかわりがなく、個人の殻の中でやっていることだろう。

ひとは定年になっても、まだ役割があるはずである。60歳で定年になっても、人間の本来の寿命125歳の半分である。すなわち、まだ半人前なのだ。定年で自分の仕事は終わり、役割が終わったなどと考えるのは、間違いである。そんな考えをしながら生きているから、若者からも家庭からも馬鹿にされ、邪魔扱いされて、社会の隅に追いやられるのではないだろうか。

もちろん仕事をやっていたときと同じように働いたり、生きろというのではない。それまでとは質の違った生き方をすべきである。これまで出来なかったこと、今だからやっとできるようになったことを、やるべきだ。これまでは家族や自分のために稼いだが、もう十分働いたのだから、これからは周りの人たちや、社会、国、世界、宇宙などのために働くべきである。損得でものごとをするのではなく、我欲をすてた生き方をするのがいいのではないか。

宮内庁が編ボした「殉難録稿」によると、幕末維新に勤皇志士として新しい国づくりのため非命に斃れた者は、官軍側が2、480人であるという。また、幕府側は推定8,000人といわれる。このように多くの幕末の志士たちは皆、私心我欲のためでなく、公のため、そして義のために活動し、己の本分を尽くして、潔く死んでいったのである。かれらのお陰で、日本は欧米諸国の植民地にもならず、明治維新を迎え、近代国家へ進むことができた。

今の日本は明治と同じように混乱をきたしているといえよう。欧米文化が入り込み、政治や経済でも諸外国に翻弄され、少子高齢化、高齢化社会、若者の暴走、政治家や官僚の不祥事、殺人や人身事故など、多くの問題を引き起こしている。このような日本をよくしていくことは、忙しく、自分のことで精一杯の若者に期待することはできないことだ。だから、高齢者がしっかりしなければならないのである。

このような状況にあって、定年になったから自分の仕事、役割は終わったとばかり、自分のことしか考えずに生きていてよいだろうか。社会を、日本を、少しでもよくすべき、何らかの仕事にかかわるべきだろう。

定年になった高齢者は、日本及び世界の歴史と自分の経験からの知恵と知識を、第一線にいる若者に伝えていかなければならない。高齢者には、時間的・経済的余裕と、知恵、経験があるはずだ。高齢者がその経験と知恵を後進に伝えられなければ、日本は決してよくならないし、日本に将来はない。

地球に「天国」の国があるとしたら、それは日本であると思う。日本ほどパラダイスに近い国はない。日本、自然も文化も人間も、素晴らしい国である。まず何よりも、この素晴らしさを若者に伝えなければならない。この素晴らしい国に生まれ、生きていることに誇りと自信を持つように教えなければならない。そうすれば若者が「天国」の日本に気づき、子供たちにさらに教え、その子供の子供が「天国」の日本を完成してくれるだろう。

合気道でも、投げたり、倒したりするだけでなく、開祖が目指した理想の合気道と世の中を創るべく練磨し続けながら、後進を指導しなければならない。定年でも高齢者はボケている暇はない。