【第868回】 地上天国建設へ

合気道を60年ほど続けているが、最近、合気道を創られた大先生の苛立ちをひしひしと感じるのである。60年も修業しているのに、合気道が目指す目標への道にのっていないというお叱りである。
大先生は、合気道は地上天国建設への生成化育をお手伝いしなければならないと教えておられるのである。お前の合気道はそれに貢献できているのかということである。しかし、これまでこの教えは言葉では解るが、実際にどういうことなのか、そのためどうすればいいのか等解らなかったし、そしてまた、そんな大それたことなど出来るわけがないと思っていた。
しかし、努力はしているつもりである。

合気道の稽古もそれまでの肉体的な力の稽古から、目に見えない力で技と体をつかうように変わってきたところ、日常での見る目も変わってきた。例えば、これまで気にもしなかった幼い子供たちや草花が愛おしくなり、この子供たちや自然のためにも住みやすい地球にしなければならないと思うようになったのである。更に、幼い子供たちのくったくのない、欲得のない、喜びに満ちた姿や動作に感動し、世の中の人たちがこのような子供のような気持になれば地上は天国になるだろうと思うようになったのである。
これは合気道でいうところの、魄の上(表)に魂がくるということであり、モノの上に心が来て、心がモノを制御するということである。ということは、モノより心を大事にすればいいということである。心を表に出せばいいということである。これまで主体であった物の力を精神の力(心)に振り返るのである。これは陰の力を陽の力に変えることになる。日常生活においても、陽の気で陽気に暮らせばいいことになる。
幼い子供たちの明るさは、この陽の気であるはずだ。この陽の気は体の表から出ることは稽古をしていれば分かる。陽の気は魂であり、神である。体の表とは、背中側、後頭部、腰側であり、体の裏とは、顔面側、腹・胸側である。
ほとんどの人は体の裏側から気や力を出している。合気道の技の稽古でも腹が中心となり、裏からの力をつかっている。この力は陰性で、どうしても相手に打ち勝とう、打ち負かそうとする肉体的な魄の力であるので、合気道の相対稽古ではぶつかり合ったり、争いになりがちである。最悪、体を壊すことにもなるから、体の裏からの陰の力は改めなければならないことになる。合気道の外の世の中でも、体の裏からの陰の気や力をつかえば、争いが絶えないし、世の中を陰気にするはずである。例えば、目で物を見る場合も、体の表である後頭部から見ると、顔はゆるみ、にこやかになり、穏やかになる。幼い子供たちがにこやかに幸せそうな顔をしているのは体の表で見ているからである。全身から発散される弾けるような喜びは、顔だけでなく体全部の表からのものであろう。因みに、しかめっ面は陰気であるが、これは体の裏の顔面で見るからである。体の表の後頭部をつかえばしかめっ面をしようとしても出来ないはずである。

体の表の後頭部から見れば、人だけではなく草花の心が見えてくると感じる。そして合気道でいう愛が生まれ、草花も我々人間の仲間であると思うようになる。合気道の教えの、万有万物すべて家族ということが分かってくる。そして人類だけでなく、草花や地上の万有万物のためにも天国をつくらなければならないと思うのである。

そのためには、まず、合気道家は合気道の錬磨によって、体の表から陽の気を生み、つかう錬磨をし、陽気の技を身につけなければならないだろう。神を表に出す稽古である。そして陽気で明るくなることである。子供に帰るのである。このような仲間を増やし、みんなでそれを世間に広めていけばいいと考える。一人一人ができることは大したことではないだろうが、その積み重ねで世間、地上はよくなるはずである。これが地上天国建設の生成化育のお手伝いと考える。それは意外と容易かも知れない。何故ならば、人も草木も万有万物は地上を少しでもよくしようとしているようだからである。つまりそういうシステムが出来ているように思えるのである。故に、その営みの流れに逆らわずにすればいいはずである。

これまでの強いとか弱いとかを重視してきた武道の考え・目標を変えなければならない。勿論、武道的な錬磨はこれまで通り必要である。変えるのは武道の考え・目標である。矛の争いを止めさせるから、宇宙との一体化、そして地上天国建設へである。これまでの小乗(宇宙との一体化)から大乗(地上天国建設)に変えるのである。これで世間の武道に対する見方や評価が変わり、合気道の本当の素晴らしさをわかってもらえることになるはずである。

合気道を少しづつであはあるが分かって来ているようなので、大先生にはもう少しご辛抱をお願いしているところである。