【第866回】 先人につながる

80年以上も生き、そして合気道も半世紀以上稽古しているが、最近、つくづくいろいろな方々にお世話になっていることを自覚するようになった。両親のお蔭で今の自分があるし、合気道ができるのも両親のお蔭であり、もしも両親がいなければ自分が無かったし、合気道もできなかったわけである。今になってつくづくと両親には感謝している次第である。
両親に感謝するようになると、親の事がわかってくる。子供を育てようと一生懸命に働いてくれた事、健康に育ってくれるように願っていたことなどが分かってくる。

両親にはその親があり、またその親の親とずうっと先に続く。所謂、人類の先祖である。最近の発見では、およそ200万年から300万年前のアフリカにいたアウストラロピテクス・アファレンシスという人類だろうということである。 これは、別名 アファール猿人(えんじん)ともいわれているもので、現在わかっている一番確実な人間の先祖であるという。
私もこのアフリカにいたアウストラロピテクス・アファレンシスという人類の祖先につながっているはずである。アフリカの血も流れていることになる。

また、人類の祖先と今の自分の間には、明治、江戸、・・古墳、弥生、縄文、旧石器時代の先人との繋がりがあったわけである。それらの先人たちの遺伝子や細胞、血や肉が残されているはずである。
これは物質的、肉体的な先人とのつながりであるが、人には精神的な先人たちとのつながりもある。例えば、子供がいなければ、物質的、肉体的つながりは後人たちと断たれるわけであるが、精神的、文化的にはつながりは出来る。いい絵や音楽を残したり、文章や思想・哲学等を残せば後人たちはそれらとつながっていく。例えば、ダビンチ、モーツアルト、アインシュタイン、紫式部、植芝盛平大先生などである。

これまでは先人とのつながりはあると思っていたし、信じていたが実感するものではなかった。が、最近ようやく先人とつながるということはこういうことかと実感した。

それは本部道場で教えておられた有川定輝先生とである。先生とは長年に亘って教えて頂いたので当時はつながりがあったわけであるが、今思えば、それは表面的なもので、先生との心(精神的)のつながりではなかったと思うのである。とりわけ、先生の技づかいとその時の気持ちが分からなかったのである。
最近ようやく、先生が示して下さっていた正面打ち一教が先生の形(写真)にはまるようになってきたと実感することが出来るようになると、そこでの先生の気持ちがよくわかるのである。先生とやっとつながれたと思ったのである。 
  
恐らく先生は我々稽古人に、やる事をきちんとやれ(同じ側の手と足を陰陽につかう。手を指先から胸鎖関節まで気を入れて弛まないようにする。前の手先・指先は相手の顔面をいつでも突けるようにする。体の表(背中側)からの力(気)をつかう等など)、また、お前たちにはまだ出来ないだろうが、真剣に取り組めばそのうちに出来るようになるだろうから、最高の技を見せておく等である。
先生のご本心など分かりようがないが、自分がこの形にはまった技がつかえるようになるとこのような気持ちになるのえある。私も後人たちにこのような気持ちで技を掛けようとしているから、有川先生と後人はつながってくれるだろうと願っているところである。

更に、畏れ多くも、大先生ともつながってきたようである。大先生のお気持ちとのつながりであるつながりを感じたのは「うぶすの社の構え」である。この構えから太刀取りや太刀打ち・捌きをすると、大先生のその瞬間の気持ちになれるようなのである。早さや強さは関係ない、時間や空間(距離)には関係ないということも実感できるのである。大先生とつながったと実感するのである。
お陰でこれまで苦労してきた『合気神髄』『武産合気』も大分わかるようになってきた。大先生が如何に合気道の素晴らしさと必要性を我々稽古人、更に人類に少しでも分かり易く説こうとしているか、そしてその愛と熱を感じるようになったのである。

つながりを持って生きているのは人類だけではない。動物も植物もそれらの先祖とつながって生きている。この諸々の万有万物は一つの元祖につながり、これを合気道では一元の大神と教えられている。その神は、天之御中主之神、阿弥陀仏、ゴット、天帝等と名づけられているわけである。
人は一人で生きているわけではないし、稽古も先人のお蔭でできるのである。先人とつながり、先人に教えて頂き、そして先人に感謝することである。