【第866回】 魂の更なる探究
魄の稽古から魂の学びの稽古になるべく、魂の稽古と研究を続けている。お陰で少しずつではあるが分かってきたこともあるし、これまで出来なかったことが出来るようになってきて、技も変わってきたと感じる。
魂を理解するのも大先生の教えに依るわけだから『武産合気』『合気神髄』を繰り返し読まなければいけないし、そしてそれを技で実行しなければならない。魂に関する教えも一つではなく沢山ある。分かるものもあるし、少ししかわからないもの、全然分からないものがある。繰り返して読むという事は、全然わからないもの(箇所)を少し分かるようにし、少ししかわからないものを分かるようにするためである。初めからすべてわかるようなモノなど面白くもない。
以前、大先生の魂に関しての教えに次のようなものがあったが、全然・ほとんど分からなかった。
- 魂、それは造り主の分け御霊(みたま)である
- 魂は自分自身で創るのであります
- いつも我々は気を通して魂を磨く
- 自分の身の内、すなわち魂のことである
- この肉体は黄金の釜であります。霊魂をつくり直すことができるのです。
- 自分の息をこう吸ったら、自分の魂が入ってくる。
が、分かってきたのである。
何故、これが分かるようになったかと云うと、『大本言霊学』(出口王仁三郎)と『言霊秘書山口志道霊学全集』を読み直したことである。これは大先生も研究されたはずである。
そこには魂に関して次のように書いてある。
- 天地の間に眼に見えさる火水あり。是を火水とも云う。神と唱ふるは躰にして水火と唱るは用なり。
- 人間の胎内に火水あり。是を霊水火という。気ともいう。魂と唱ふるは躰にして息と唱るは用なり。
ここから、天地も
人間も
水火をしている。天地の水火は神という。そして人間の水火を
霊水火(魂)といい、また、気ともいうとある。また、魂は躰で息が用であるという。
息によって魂と気が生まれるという事である。ここで重要なのは息(水火)によって魂と気の両方が生まれるということである。気は力の大王といわれるように大きな力が出るが、その気とともに魂が出ているということである。だが、技をつかう際に気は意識出来るし、調整できるが、魂は掴みどころがない。しかし、魂にも気のような大きな力と働きがあるはずである。
気と魂について考えた。胎内の息から一緒に出てくるわけだから同じところがあるはずだし、名前が違うから違うところもあるということである。
私の思うに、気は幽の体であり、魂は幽の幽だと思う。大先生は、気はモノであり、気力は魄の力であると言われている。幽はモノではないモノ、姿かたちの体もないモノである。精神とか心に近いのだろう。
この両書から、上記の大先生の教えで分からなかった事がわかってきたわけである。これからは、これを技に活かしていくことと、更なる魂の研究を続けなければならないと思った次第である。
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