【第865回】 剣をつかう

合気道の技づかいの基本は徒手(素手)であるので、普段は剣や杖などの得物をつかわない稽古をしている。稽古を続けていくと気がつくのだが、技を掛ける手をどのようにつかえばいいのかが段々分からなくなってくるはずである。つまり、何を基準、目標にしてつかえばいいのかがわからないわけである。分からなかったり、意識できないから、手は適当に動かしてしまうことになり、いい技が生まれない事になるということである。
手を上手くつかうためには、宇宙の法則に合し、天地一体となってつかわなければならない事がわかったわけであるが、この宇宙との一体化への稽古は容易ではない。例えば、フトマニ古事記の理合いで神生み、島生みをしなければならないのである。
更に、フトマニ古事記で手をつかったとしても、それがどのような形、動きになるのかや、その形や動きの良し悪しの判断が難しい。
この問題を解いてくれるのが剣の理合い、剣の動きであると考えたのである。

「第807回 剣の手で手をつかう」で、合気道の技は剣の理合いでの剣の手でつかわなければならないと書いた。
大先生監修の『合気道技法』には、「合気道の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している。故に徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動作している。」(合気道技法 P.44)とか、「剣の道に経験のある人が合気道の動きを見ると、必ず剣の動きと同一である、と言われる。なるほど、合気道のどの技をとりあげてみても、剣の理法との一致点を見出すことができる。・・・合気道の技の半分は刀剣を使用しての技であることを知っておくべきである。」(合気道技法 P.252)と書かれている。
そこで、これまでは剣の理合いで手・体(胴、足、頭)をつかっていきたわけである。試行しながら、大分研究してきたつもりである。
最近、剣の理法、合気の技の理合い等が多少わかってきたようなので、これまでの合気の理法と剣の理法による手に剣を持ち、剣もつかってみることにした。以前も剣(木刀・居合刀)を振っていたが、何もわからず、理合いなどない剣振りだった。今度は合気の理合いに則って剣をつかうのである。これまでとは大分違うはずである。例えば、体を陰陽につかう事である。手は右、左、右と陰陽につかい、足も右、左、右と陰陽に動く。体は体幹と顔と両手が面として動き、腰腹で足先と十字々々になる。
息と動きは布斗麻邇御霊の息づかいである。
更に、最近身につけた理合いから、剣を振るのは体の表で振ることである。これまでは腹を中心に腹で剣を振っていた。体の裏の腹で振っていたわけである。これを、体の表(腰・背中側)で振るのである。このためには、仙骨をつかわなければならない事になる。仙骨をつかうと、気と力は体の表に出ることが分かっている。腹で剣を振っている限り、どんなに強力でも魄の力、陰の力になるはずである。魂の力を求める合気道の剣も陽の気、魂の力が出るようにしなければならない。

これからはこれまで徒手で学んだ合気の法則を生かして、再び剣を振って行きたいと思っている。剣を振ることによって、きっと新たな発見、徒手では見えなかった、見つけることができなかった理合いが見つかるはずである。そしてそれを徒手の手・体づかいに活かしたいと考えている。