【第864回】 剣、杖、槍の修練

開祖は「体は無形の剣にして 剣は体の延長なり」(『合気道開祖』P92)と云われ、体を剣としてつかい、剣を体としてつかえと教えている。
また、二代目吉祥丸道主は「合気道はいうまでもなく 徒手の攻防演武を基本とする武道である。だがこの動き、その捌きは剣、杖、槍の理合いを体的に表現したものであるとの考えから、開祖は道主に、剣、杖、槍の修練をとくに強調した。」と『合気道開祖』P92)に書かれている。
合気道は徒手が基本であるが、剣、杖などの修練も必要であるということである。

しかし、合気道の本部道場では、剣や杖の打ち方や振り方は教えない。われわれ一般稽古人は大先生や吉祥丸道主から教わったことはない。しかも木刀を振っているのを大先生に見つかると大目玉を食らったものである。道場には木刀や杖が刀掛けに架かっていたし、昇段審査には太刀取りや杖取りがあるのに、木刀や杖を振るのを大先生が叱るのが分からなかった。
そこで振りたい者は大先生の不在を確認して振った。打ち合いをする者もいて、道場にあった木刀はいつも先が折れたり、ひびが入ったり、曲がったりしていた。勿論、自宅などでも振ったが、どう振ればいいのか、何を目標にして振ればいいのか、何のために振るのか等分からず振っていた。只、数多く、力強く、速く振ることに専念した。

剣,杖の修練が必要なのに、何故、大先生は我々が道場で振っているのを見ると叱られたのかを考えてきたが、それはある先輩の話で分かった。
ある別の先輩が道場で木刀を振っているのを大先生に見つかり、「おまえたちにはまだ早い」と叱られたというのである。早いということは、徒手の稽古が剣を振るには不十分であるということであろう。また、最近わかったのだが、お前の徒手の技のレベルではそれを剣につかえないし、剣をつかえる体にもなっていないということだと考える。技も体も未熟だから、剣を振る暇があれば、徒手で技と体を練れという意味があったのだと思う。

半世紀の稽古でようやく分かってきた。「手(体)を剣として、剣を手(体)の一部として延長でつかう」、そして「徒手での動きや捌きを剣、杖の理合いでやると上手くいく」事である。また、「剣、杖の理合いがわかり身に付けば、徒手の技が上手く出来るようになるということである。
剣、杖から徒手の技と体を修練することが出来るし、徒手の修練によって剣や杖もつかえるようになるから、徒手と剣、杖には相関関係があることに間違いはない。

最近、徒手の稽古で、魄の力ではなく魂の力をつかうことに専念している。そのために体の表をつかうようにし、体の表に魂の力が出るように仙骨をつかうようにしている。そこで木刀をこれで振るとこれまでと違った力、魄ではない魂の力が出るようである。更にこの木刀の振り上げ、打ちを徒手の正面打ち一教でやれば徒手が改善されることも分かった。

久しぶりに木刀を振ってみた。徒手の動きと理合いで剣をつかうのである。
陰陽、十字、△○□、布斗麻邇御霊の息づかい、一霊四魂三元八力等である。
また、剣がこれで振れるようになると、剣が手として働く感覚を持てるようになるし、そして、また、徒手の手が剣となるのを実感できるのである。